ゐぬ・イヌ【犬/狗/戌】

 持来(リトリーブ)これはイヌの根源に関わるものであり、様々な空想をイヌにもたらす特性である。ちょうど人間にとっての性衝動、または答えが解らないと知りつつも形而上学的な質問をしたくなる衝動のようなものだ。
 しかしオオカミと人間という組み合わせとちがって、イヌと人間の場合はたがいに「モッテコイごっこ」をして遊ぼうとする衝動がある。そしてこの衝動があるかないかは、立派に仕事をやってのけるイヌになるかどうかを見分ける最上の目安だ。それによって生まれて八週間目の一腹の子イヌのうち、優秀な盲導犬に必要な責任感をもっとも伸ばせそうなのはどれかということも解る。
 同じようにこの「モッテコイごっこ」をしようとする衝動を手がかりにして、八歳児のグループの中から、どの子がイヌのトレーナーになれそうかを、かなり正確に見極めることができる。イヌは私たちに飼い馴らされ、こちらの生活に入り込んでいる。私たちもまた、イヌに飼い馴らされ、その生活の入り込んでいるのだ。
 未来のトレーナーは本能だけではく、人間とイヌのかかわりの中で生まれてきた神話にも従って手に入れたばかりの子イヌに棒きれを拾って投げてみせる。たぶん子イヌのファイドーは、それをくわえて飼い主のところまで戻ってくるだろう。だが二回目になると、ファイドーはたいていこう言う。

 「たしかにこの遊びはすごくおもしろいけれど、ぼくの棒きれをあの子に渡しちゃって大丈夫かな?」

 そこでファイドーは一歩ゆずって、ちょうど人間の手の届かないところまで棒きれを持ってきてそこに落とす。だから、もし「モッテコイごっこ」をしたいなら、人間はこの修正案を受け入れて、自分で棒切れを拾い上げなくてはならない。
 こんなふうにしてゲームは始まり、イヌと飼い主のどちらかが死なないかぎり続けることができる。
 これはとても愉快な遊びだが、このゲームをしてみれば誰でも思うだろう。「あと一、二メートルなのに、どうやってもこのイヌに手元まで持ってこさせることができない」と...

「人間が動物たちと話すには?」原題:ADAM'S TASK
ヴィッキー・ハーン著 川勝彰子・小泉美樹・山下利枝子訳

 

ケイ:
それで...
カントク:
ん?
ケイ:
その物語の教訓は何なの?
カントク:
さあな...そりゃ人間とイヌのどちらに感情移入するかで変わるんじゃねえのか。それに、トメに言わせるとこれは人間がイヌ「モッテコイ」を命令することの道徳的な根拠について論じた本なんだそうだ...読んでみるか?

「西武新宿戦線異状なし」
原作:押井 守 画:おおのやすゆき 日本出版社刊

イヌ:今日もいい波でした。


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