「工場の資材調達部の部長は偉い」
今はどうか分かりませんが昔の地方の大企業の資材調達部長は偉かったと言う時代がありました。
なぜ偉いのか?と言うと下請けの部品メーカーなどの発注権限を持っていたからです。
「俺がハンコを押さないとオタクに注文はいかないんだよ。わかってるよな」って感じですね。
そのため、部品メーカーも競合がいたり見積もり金額は欲しいのでなかなか強気に出るわけにもいかずに接待三昧だったみたいです。
今ではコンプライアンスの問題が大きいのでこれはあくまでも昭和時代の話だと思うのですが、そんな地方の工場の調達部長がうちの部署になぜが転籍してきました。今回はそのお話。
なぜ、コンピューターエンジニアでもない人がうちの部署(バリバリプログラムを書く部署)に来たのかは正直よく分かりません。
バブル崩壊やリーマンショックで工場縮小したりしてうちの部署に転籍になった人は何人か見たことがありますがそれらの人はまだ若く育て甲斐がありましたが、その人はそのまま部長待遇でうちの部署に来たんですよね。
うちの部署は正部長、副部長、担当部長と何人も部長がいるでかい部署なので、その人は担当部長として来ました。
まぁ、同じ会社なので業績の数字を見る事は得意だったようです。
ただ、その人、昭和時代のまま現代に来たみたいな人で地方から東京に来て嬉しかったのかまた、パートナー会社を選定出来る権限を持てたからなのか(厳密には調達部からは外れたので発注権限は無いですが)、まぁ毎日交際費を使って色々なパートナー会社のお偉いさんと会食(と言う名の飲み会)をしてたんですよね。
あと、通称『K部屋』と言う説教部屋もあったみたいです。
僕は特に呼ばれる事は無かったんですけれど何か仕事で失敗(と言うレベルでは無いと思うんですが)すると呼ばれてたみたいです。
一方女性にはめっきり優しく一旦K部長に捕まった女性は長々と昔の自慢話を聞かされておりました。
僕はそう言うのを見つけると「xxさん(捕まってる女性の名前)、そろそろ会議の時間ですよー」と割り込んで入って会話を途切れさせてました。
もちろん、会議はウソなんですけれど、本当に捕まると仕事が停滞するレベルだったんですよ。
本当に老害の見本みたいな人でした。
ただ、天罰とは下るもので間接費を調べてた本部長に見事に見つかり、「K!お前はなに毎日接待費(接待費は間接費の一種で明細見ればすぐに分かります)使ってるんだ!」と見事にお叱りを受けたみたいで、そのお叱りも「お前(Kの事)、これから定時後から21時まで会社に残って電話番しろ!あと今後交際費は一才使うな!」と言われたそうです。
まだ一人に一台スマホや携帯が支給される前の話で部署に電話が結構残ってたんですよ。
誰もいない部署で定時後に飲みに行けず電話番をするK。
今ならパワハラですが、K自体が説教部屋を作ったり、毎日会社の金で飲みまくってたのでみんな「ざまあ」ってな気分だった模様です。
その後のKですが、うちの会社のコンサル専門会社が日本にもできた際に逃げるように転籍していきました。
日本と言えども外資コンサルを模して作った会社だったようでみんなにへーこら言いながら末席で何とか存在しているとか…
と、ここまでの話が10年前くらいです。Kももう定年で会社には居ないでしょう。
地方の工場で王様のように振る舞って人生最高だったのかもしれませんが晩年は最悪な会社員生活を送っていたのでは無いでしょうか?
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時代は変わり今は課長になっても仕事の出来や業績が悪いと係長に降格とかありますし、ある程度まで偉くなっあとに失敗したりポストが無くなると、パートナー会社へ「出向」させられます。
なんか半沢直樹のドラマを見てたら何となく思い出してしまいました。
あ、あと補足しておきますとうちの会社で重要な役職につくには若いうちにパートナー会社や海外に「出向」させられます(期限付き出向と言います)
これは半沢直樹のドラマと同様で、若いうちに外から本社を見ると言う「役職が上がって戻ってくる事を約束された出向」で、うちの会社の幹部はほとんど出向経験者です。
Kさん、誰からも慕われない数奇な会社員人生楽しかったのだろうか…
時代が変われば働き方も変わります。
その変化の対応についていけず過去の栄光と地位にあぐらをかいてると没落する時代。
僕も昔の良いところは若者に伝えつつ、新しい働き方を柔軟に受け入れ、偉くはならなくとも色んな人と色んな仕事をしていきたいな、と再確認した次第です。