僕はとくに考察班やカプ廚ではない。
ただ、今回でケリが着くと知りシンエヴァを見てきた。
10代後半の僕に多大な影響を与えた新世紀エヴァンゲリオン。
それまでは、お笑いばっかりみてて酒飲んでカラオケ歌って、金曜と土曜の深夜は朝までゲームをする。
どこにでもいる男だった。
記憶が確かならば新世紀エヴァンゲリオンが深夜帯で一気放送と言うのがテレ東のイベントであった。
たしか2週に渡って放送された気がする。
とくにする事が無い夜更かし時代の僕は一気に吸い込まれた。
僕は「レイが、アスカが…」とかよりも「これは哲学だ」と思ってみた。メタ演出のアニメを見たのはこれが初めてかもしれない。
しかしテレビ版最後の2話は難解すぎた。
庵野監督もスケジュールの関係もあってこう言う終わりにしなければいけなかった。
キチンとカタチにする。
そして、「Air/まごころを、君に」(通称旧劇)が公開される。しかしそれは庵野監督からの「いつまでもアニメで『アスカがぁー』とか言ってないで現実を見ろ」と言う強烈な挑戦状だった。
観客をスクリーンに映したり、最後にアスカの首を絞めて『気持ち悪い』と言わせたり…
これは色々な議論を呼んだがそこまで考察をする事はしなかった、ゲンドウの人類補完計画で流れてた「甘き死よ、来たれ」だけが強くイメージに残った。自分の葬式にこの曲を流したい!って思った人は当時は多かったと思う。
兎にも角にも、全てのエヴァンゲリオンはハッピーエンドになってない。
そして、しばらくエヴァから離れた。
日常には沢山のアニメが溢れたがとくに興味は無かった。
エヴァなんてパチンコ屋でしか見る事がなくなったようなその時に、劇場版エヴァの序が公開された。
もちろんスクリーンで見た。
そこにはエヴァの良い場面をスプーンで掬い上げたような仕上がりになっていた。
そして、続いて破である。これが、名作だった。
「もしかして庵野は本当にオタクだけではなく一般人にもわかるエヴァを作ろうとしているのか?」
期待は高まる。
そしてQ。それが世紀の駄作と呼ばれるまで難解であった。実際僕も2回しか見ていない。しかし、この邪魔でしか無かった「空白の14年」がケリをつける大事なキーになっているとはその時は思わなかった。
東日本大地震の件もあって、大幅に書き換えたと何かで読み「仕方ないよな」と思っていた。
その後も僕はエヴァを意識しては生きていない。10代の頃に見た考察満載のエヴァそれから25年。僕も46歳になった。
そして、シンエヴァ。今回で終わりとの事でどうしても観たかった。エヴァに固着したわけでは無いけれど僕の人生のどこかにエヴァの魂は流れていた。
「終わりゃ、どんな形でも良いや」
そして観た。
テレビ版から旧劇、新劇全てを畳む内容だった。考察する事すらもはや無意味と思わせる結果だった。
面白いか?面白く無いか?と問われれば「満足した」と言うのがベターな回答ではなかろうか。
映画の構成上、後半はまたヘンテコな世界に突入する。そこではなんでもありの世界。僕はそのシーンを視聴者に全て委ねたと感じた。今まで見てきた場面を移して行われる壮大な親子喧嘩。
ようは考察班がいままで散々議論されてきた事。それをゲンドウが全てネタバレする。
一通り終わった後、海辺でシンジくんの描写が原画に戻っていく。
ああ、またこうやって終わるのか…とも思ったのだけれども最後に救いがある。
そして、その救いのままエンディングへ。
僕はこれで良かったと思う。彼女じゃ無いと、また視聴者にとっての「エヴァの呪縛」は解かれないだろう。
僕は大満足だった。
特に思い入れのあるキャラもいなかったしとにかく終わってくれさえすればどんな形でも許容するつもりだった。
結果、
庵野秀明
声優陣
アニメ内のキャラ
そして、
視聴者
をエヴァの呪縛から解く事ができたと思う。
もちろんこの作品単体で観ても意味がわからないだろう。
でも、僕のように最初から見てるファンにとっては1番呪縛から解かれたのでは無いだろうか?
「全部見た」だけでは無い。それに実質時間として四半世紀を加えるから感動もひとしおである。
少なくとも、僕はエヴァの呪縛からは解かれた。
それと同時に「体を動かして働く」事について対して今の仕事に対して疑問が出てきたのは内緒だ。
さようなら、すべてのエヴァンゲリオン。
ありがとう!庵野監督。お疲れ様でした。
庵野さんもエヴァにとらわれずに様々な作品を作ってくださいね。