最近、落語についてたまに調べている。
別に詳しいわけでは無いけれど古典位は覚えておいて損はないかな?、と。
そうやって調べていくとどうしても「古今亭志ん生」にぶち当たる。
やっぱりこの人を知らないといけないみたいだ。
談志とかは知ってる。ただ、談志は好き嫌いが激しい。
その上を調べると古今亭志ん生だ。古今亭志ん朝を調べて行っても古今亭志ん生の壁にぶち当たる。
調べてみると、古今亭志ん生ってのは俗に言う破滅型芸人だったみたいだ。
奥さんがいながら家にいる金を入れずに風俗通い。勿論酒飲み。
今だったらマッハで離婚コースだ。
だけれども、古今亭志ん生は天才だった…。
と書きたいところだけれども落語には人一倍勉強熱心だった古今亭志ん生も有名になったのは45歳との事。遅咲きも良いところ。
世の中の初老、中年に夢を与えてしまうかもしれない。
当時の45歳と言うと今で言う60歳くらいではなかろうか?
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さて、芸の肥やし、と言う言葉がある。
古今亭志ん生は風俗(当時で言う遊楽)に通い詰めた経験ってのは落語の演目をやる上での女性の演技に活きてると思う。
こればっかりは女遊びしてないと経験できなし、芸に昇華出来ないと全くの無駄だ。
あと、女房に苦労させておいて自分は風俗通いなんて言う有名人がいたとして、このご時世出来るわけがない。ネットが荒れる、炎上する。
でも、決して離婚はしなかったし、遊楽に通うだけで愛人は囲っていなかったように思う。
古今亭志ん生は化けるまで貧乏だったらしい。当たり前だお金があれば家族を顧みずに酒と女に費やしていたのだから。
でも、奥さんは一枚も二枚も上手だったと思う。やはり男性は所詮女性の手のひらの上で遊んでいるだけなのだ。
最後に、古今亭志ん生の有名な言葉。
『貧乏はするものじゃない、味わうものですな』
落語家とは実に粋な人種なのだな、と思った次第。僕もそういうふうに生きたいものである。