ここをクリックしてお気軽にお問い合わせください!

僕は落ちこぼれだった?

僕の家系は基本的に学卒です。僕の田舎は北海道の小樽と言う街で、小樽のトップ進学校に潮陵(ちょうりょう)高校と言うのがあります。
ちなみに、お笑い芸人である極楽とんぼの加藤浩次さんも小樽出身で、ちゃっかりこの潮陵高校に入学しております。当時から地頭は良かったんでしょうね。

AF1QipOUNJ8QAxjyAa6U2 fYNAcWhL8ZPnYVZNJCzijls1600 w800

当時から制服がない高校でした。

僕の父親はもちろん、僕の叔父さん達は全員潮陵高校に入学してその後大学に進学しております。

僕の住んでいる家から潮陵高校はとても近かったし(歩いて10分くらい)親族の期待もあったかどうかわかりませんが、「波秋は(当たり前のように)潮陵高校だよな」と思われていたのかもしれません。

ただ、中学時代にプログラミングと麻雀に明け暮れていた僕の学力では潮陵高校には届きませんでした。

中学生になると高校の進路選択の話って出てきますよね。でも潮陵高校には届かなかった。入れても小樽で二番目の進学校だろう、と。
父親は「別にどこでも良いのではないか?」と言う感じでした。まぁ、父親は僕が物心着く頃からアル中でろくな思い出がなかったので、その負い目があったのかもしれません(あ、今は父親は心を入れ替え完全にお酒を断っております)

実質母親に育てられた訳ですが、母親は放任主義の人でした。「人に迷惑をかけなければ何をしても良い」と言う教育方針・道徳方針だったんですよね。

中学生の頃から、僕は母親に「権利の主張と義務の遂行」と言われて育ちました。社会人になった今とても役に立ってますが中学生の時と考えるとものすごい方針でしたね。

で、進路相談。母親は言いました。
「進学校の最下位か、工業高校の上位になるか自分で決めなさい」と。

この時点で「学校差別じゃないか!」なんて言われるかもしれませんが、受験戦争とか”Fラン”とか言っている時点でそう言う指摘は受け付ける気持ちはないっす。

僕は工業高校に進学する事を決めました。小樽工業高校には当時”電子科”と言うクラスがあり、コンピュータを学べたからです。
小学生の頃からプログラムを書いていた僕は「よっしゃプログラマで食っていこう」と思ったんですよね。ちなみに当時から大学に行く気は全く無かったです。家が貧乏だったので早く社会にでて自分の金で暮らしていきたいと思ったからです。

幸か不幸か、僕はそのあと日本で言うところの超一流企業に就職する事ができました。進学校に行っていたらどうなっていたかはわかりませんね。

親戚一同も一時は「なんだ、波秋は潮陵高校に入れないのか。一族の中では頭が悪いのかな?」なんて思われてたかもしれませんが、別にそう言う事をダイレクトに言われる事は無かったですね。そんな事よりもちゃんと会社に入れたのに驚かれたのかもしれません。

と、言うわけで僕は学歴コンプレックスってのが無いんですよ。逆に思われるかもしれませんが、周りの友達も誰も大学に進学せずに就職したり手に職つけたりしているし入社した会社のジャンルも別々です。
なので、”誰かと学歴で比較する”って言う事をしなかったんですよね。
まぁ、今46歳。高卒で入社した会社にそのまま勤続しすでに四半世紀を超えました。
まぁ、良かったかなと思っております。
ただ、大企業病と言いますか高卒は昇進しにくいと言うのがあり学卒の後輩がどんどん昇進していきました。
これは余談ですが、昇進して管理職になると会社の為に”利益”を出す事が第一優先になり技術が蔑ろになりがちなので、僕は別に管理職にはなりたくないです。いつでも転職や独立できるように技術は追い続けたいタイプです。

でも「大学に行きたかったな」って思う事もありまして、それは「大学の専攻ならではの勉強を(今の歳で)したいなぁ」と思ったこと。いやいや単位の為に授業を受けるのではなくて本当に学びたくて学ぶと言う体験ですね。
あなたも両親のボヤきで「あぁ、こんな事なら大学でちゃんと勉強しておけばよかったなぁ」なんての聞いたことないでしょうか?

案外社会に出て色々と経験すると自分の経験値が上がり、その結果、どんどんと勉強してきたくなるものですよ。

なーんってカッコよく言ってみましたがモラトリアムを経験したかったってのが正直なところだったりします。

ちなみに、僕の母校である小樽工業高等学校は2018年に商業高等学校(ここは女子率がすごい高く簿記とかの勉強をする学校でした)と統合して、なんと北海道小樽未来創造高等学校と言うとんでもなくダサい名前になってしまったようです。ギャフン。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です