46年間生きていると辛い時が多々あります。
ってか、人生は辛い時の方が多いような気がします。8:2の8位は辛いことかもしれません。
まぁ、生まれてから一回も辛い思いを味わずに生きてるなんて人いないと思いますし、そういう人がいたとしたら人生ツマらないんじゃないかな?って思ったりします。辛いことがあるから、小さな幸せも百倍幸せに感じられるんです。
今回は、辛い時や悲しい時、苦しい時に僕を助けてくれてる”ラジオ”の話です。
僕が生まれてから初めてラジオを自主的に聴き始めたのはおそらく高校時代でしょう。
中間テスト・期末テストってのがあってその勉強を一夜漬けでする事が多く(工業高校だったので一夜漬けでもそこそこの点数は取れました)、その時に勉強のお供に深夜ラジオを聞いてたような気がします。
当時一番記憶に残っていたのが”ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン”でしたね。
北海道の田舎でもオールナイトニッポンはやはり強かったです。
1993年に上京してからしばらくはラジオから遠ざかってました。
理由はいくつかあるんですけれど、「ラジオを聴いてる時間は飲んで遊んで寝てた」ってのがあります。あとはその当時は地上波の深夜番組がとんでもなく面白かったんですよね。特にフジテレビの深夜帯は凄かった…。
まぁ「ラジオを聞くのが面倒だった(難しかった)」ってのもあるんですけれどね。
家にラジオはありませんでしたし、パソコンでラジオが聞けるAMチューナー的なガジェットがあったんですけれど結局電波があまり拾えずに雑音ばかりだったり…と。
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(時は流れて)
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スマホが普及して、TBSラジオでJUNKのPodcastが配信される時には散歩のお供はPodcastでしたね。バナナマンのPodcastは1時間超えのものが多くて、当時住んでた稲田堤から府中や登戸への散歩中によく聴いてました。
また、文化放送の髭男爵『ルネッサンスラジオ』を知ったのもこの頃でした。
社会不適合者としてのラジオ、当時はかなり精神的に助けられたような気がしてます。”下には下がいる”と。
この頃の山田ルイ53世はまだ本を出版しておらず今みたいな”文化人”では無かったので本当の『ねたみ』に満ち溢れておりまして実によかった。
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radikoでタイムフリーが使えるようになってから(2016年〜)は、もう無敵でした。
もうラジオばっかり聴いてました。
仕事だったり恋愛だったり対人関係だったりと、すげー辛い時期に僕は散歩をしながらラジオを聞いてました。30代前半までは音楽ばかり聴いてたんですけどその後は芸人のPodcastやラジオばかり聴いてました。通勤時間も基本的にタイムフリーでラジオ。ラジオ漬けの日々。
耳からだけのお笑い。歩きながら頭の中で風景を想像して一人笑いする事も多かったです。周りから見たら変態です。
どんなに辛くても笑っちゃうんです。『辛い時は笑うことなんてできない』そんな固定概念を芸人のラジオはあっさりと超えてきます。
「あれ、私、笑えるんだ…」
なんて映画のセリフみたいですが、綺麗事では無いんですけど実際笑っちゃうんだからしょうがないんです。
M-1みたいな賞レースで「よーし、これからお笑いみるぞ!」みたいに漫才とかコントを見て笑う感覚ではでは無くて、フリートークや職人から届いたメールを元にふと生まれる笑い。
「聞けば、見えてくる。」
「何かが始まる音がする」
とはTBSラジオのコーポレートメッセージ(会社が伝えたい事)ですが本当ですね。
明るい未来が見えるわけでは無いんですけど、前向きになろうとする自分が見えるような気がします。きっとラジオを聞くことで新しい何かが始まるんです。
コロナ禍の辛い時代、他人とワイワイ話すこともできなく笑顔も消えかけてるかもしれません、そんな時、ラジオ聞きましょ、ね!