人生生きてきて、今までお付き合いした人っていうのはありがたいことに向こうの方から「お付き合いしてほしい」と言ってくれた人とばかりお付き合いしておりました。僕のことを好いていてくれるというのは嬉しいですし、なんとなくというのもあったのかもしれません。
今思えば僕はその人の理想であり続けるように相手の要望に合わせる形で生きてきたような気がします。
簡単に言うと基本的に言われた通りの事を断らずにやっていたんですよね。その中であんまり”自分”ってのを出していなかった記憶があります。
でも、(僕を好きな人ではなく)僕が本当に好きな人と僕が幸せを感じ続けられるような恋愛生活はしたことがなかった……と最近当たり前の事に気がついてしまったと言うか…。
”僕を”ではなくて”僕が”好きな人と恋愛生活を送る。誤解を招く表現かもしれませんが”僕が幸せな”恋愛ってどんな気分なんだろう?と。
自分が好きな人を自分のものにする為に生きるってのがあってもよかったのだろうなって思います。
そのためにもっとワガママとも思えるアクションを起こしてもよかったのではないかな?、と。
例えば外食するときも「何食べたい?」って必ず最初に相手に聞くのではなくて「今日はカレーが食べたい!荻窪に美味しい店があるから行列待ちするけれど行ってみよう!」とか。なんか小さい話ですいません。
お付き合いする前でも意中の人に対して「今週どっか夜空いてない?ご飯食べにいこう!」って言える勇気があればもしかしから何か変わったのかもしれませんしね。
テレビとかでご年配の夫婦で切り盛りする料理店とかの番組を観ているとインタビューとかで馴れ初めを話す時に「何回も猛アタックされて、こちらが折れた」みたいなことを言っている人もいます。でもテレビで見ている感じ幸せそうなので、やっぱりそう言う強さがあっても良かったんだな、って。
嫌われるのを恐れて弱くなるのでは無くて相手を引っ張っていくと言うのはなかなかリスクがあるものです。でも、それを乗り越えないときっと自分が好きな人を自分のものにする事は出来ないのでしょうね。
もちろん、毎回ワガママに連れ回すとか、暴言・暴力を振るうとかとは別です。その人の生活・人生を守っていく事、幸せにする事を含めてお互いにやりたい事、行きたい事、食べたいものをどんどんと提案していくってのも良かったんだな、と。
そのほうがお互いに見えていなかった部分が見えてくるだけじゃなくて、”広がり”を見せることが出来たんではないかな?なんて今更ながらぼんやり思ってたりします。
女性の中には「少々強引なところがある男性の方が好き」って人も結構いると思います。
これって僕の中で”そういう男性って暴力的な面があるんだろう。オラオラ系と言うか…苦手だなぁ”っていう勝手な思い込みがあったんですよね。でもそういうのでは無くて物凄く勇気がいる事だったんだな、と。
(もちろんワンナイトしか考えてない強引さは別です)
転生とかそういうのって全く信じないし人生をやり直すとかって考えたことがないんですけど、なんか「もう一回人生ができたら僕が好きな人を僕のものにするために必死に頑張る」人生。
そんなちょっと強引な生き方をしてみるのも良いかもしれなぁ〜なんて思ったりしました。
恋愛に奥手な人って多いと思います。
失う(嫌われる)事を恐れて相手のことだけしか考えられなくなってしまう(「相手からどう思われるか?」ばかり考えてしまう)気持ちは否めません。でもそれだけでは恋愛ってとどのつまり一方通行なんだろうな、って。一方通行の恋ってのはあっけなく終わってしまう可能性が大きいですし。
そんなことをふと思ってしまいました。