ここをクリックしてお気軽にお問い合わせください!

田舎とラジオ #annkw

2024年2月18日にオードリーのANN東京ドームライブがありました。
オードリーのライブなのですが、ANN(オールナイトニッポン)と言う文字が入っている通り、ある意味深夜ラジオリスナーの祭典と考える事も出来ると思います。

このライブは、”オードリー”では無くて”オードリーのANN”のライブと言うところがミソでして、もちろん漫才も披露しましたが、メインはラジオの再現を東京ドームで行うと言うテイで、「これは流石に目で見ないと…」みたいな部分も存分に盛り込んだみたいです。

僕は参加できませんでしたが、僕がエックスでフォローしているラジオ職人たちのポストを観ていると「ラジオリスナー(オードリーのANNの場合は”リトルトゥース”と呼ばれてます)って本当に存在するんだ。僕1人じゃないんだと改めて実感した」みたいなポストが沢山ありました。勿論、誇張表現はあたりまえだとして、深夜ラジオっていうあまり学校や会社と言う実社会で話題に上がりにくいメディアのファンが可視化されたと言う意味では感慨深いモノがあったのだと思います。

それらを見ながら、僕は「ラジオってそれぞれの田舎みたいなのかもな」と思ったんですよね。

言い方は悪いかも知れませんけれど、長い人生でずっとラジオを聴き続ける事ってあんまりないんじゃないかな。って思うんですよ。
社会人になったり結婚したり出世したりと、世界がガラっと変わり、人生が好転している時ってラジオを聞かなくなるのでは?って思います。
これは「ラジオなんてつまらないぜ、陰キャのガキが聴くものだ!」って訳ではなくてもっと楽しいモノを知ってしまった……みたいなニュアンスです。実際、僕自身そうでした。

しかし人生っていつまでも上手く生き続ける事は非常に困難です。

人間ってのは落ち込んだりもしますし、人によっては絶望の縁に立たされたような心境になるかもしれません。
でもそんな時でもまったく変わらずラジオはやっている。
ラジオはドラマと違って毎週聴かないと話に付いていけなくなる訳ではないですし、今はradikoがあるので比較的聴く為のハードルは下がっています。

調子いい時にラジオ聴かなくなってても、落ち込んだりへこんだりした時にふと思い出してラジオをつけると相変わらずバカやってる深夜ラジオが待っていたりする……

なんかその関係性って各々が生まれ育った田舎に似ているじゃないかな?って言う事です。

Radio to inaka

僕は北海道の小樽と言う町で生まれたので高校卒業して上京するまでの18年間と言うのは小樽(と近郊の札幌とか)と言う狭いフィールドの中で生きてきたわけで、まぁそれが”自分の世界の全て”だったんですよね。
でも上京してさらに仕事の関係で地方(福島、小倉、名古屋など…)に長期間住んでたりすると世界は驚くほど広くなります。出会いも増えますから経験する事が一気に増えていきます。

都会に出て『田舎を捨てた』としても、色々会って田舎に帰る事になった時、決してバカにせずに受け入れてくれるんです。
ただ田舎だっていつまでもその姿をとどめている訳ではないのは知っています。ラジオだってパーソナリティーの入れ替えはありますしね。

でも、久しぶりにラジオの世界に戻った時、昔聴いたラジオ職人がまだメールを送り続けているような番組を聴くと自分の悩みが吹き飛ぶような時があるのは事実ですし、当時若かったパーソナリティーも結婚して子供が育ってたりして時間が流れているのは(加齢的な面も含めて)自分だけでは無い事に安心したりもします。

やっぱりラジオは田舎、だ。
そんな事をふと思ってこのエントリを書いてみました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です