最近、この歳になって懐かしいな、とかなんか同年代の原風景の共通点についてふと考えています。懐古主義とか「歳とるとそういう事ばっか考えるようになるのかな…」っていうよりも”世代としての共通認識”みたいなのがあるんじゃないかな?と。
その中で、キーワードとして出てきたのが『団地』です。
集合住宅と言うかアパート、マンションとは違う高度経済成長期の団地。
一億総中流時代って言うんですかね?もしかしたらそれに尽きるのかもしれません。
中流世代。
上級国民でも、下級層でもない中流。平凡、普通な層。
そこには基本的に学歴や金銭的なマウントが存在しない世界だったような気がします。家庭によっては少々複雑な事情を抱えていたとしても、団地に住む子供たちはあまりそこを気にせずにフラットな関係で生活している。遊んでも帰る場所は一緒(団地)と言う感じですね。
間取りも基本的には同じはずですし。
夢の団地だった昭和30年代から、団地の終わりとしての昭和50年代。
団地に住むお金持ちの医者の息子とかいないですし、株で生計を立てたりFXをやっている人なんでいませんでした。ただ、子供ながらに「小豆を運んだ船が沈没した」とか「とうもろこし畑が炎上して全部ポップコーンになった」と言う冗談は聞いた覚えがあるので先物取引ってのはあったんでしょうね。
僕は団地住まいでは無かったのですが小学校時代、多くの友人が団地に住んでおり学校が終わったり夏休みとかの休みは毎日のように団地の友人の家で遊んだりしていた思い出があります。
団地に住む人々は核家族が多かったような気がします。核家族とは1親等の関係しかない家族を指し、祖父母と一緒に暮らさずに親子だけで生活する家族を指します。その為、学校が終わっても家に誰もいないと言うケースもあり鍵を持って生活する『鍵っ子』と言うのが流行り始めた時代だったような気がします。
例えば、それは僕固有の感覚…だけではなく、例えば小田扉さんの漫画『団地ともお』や、アルコアンドピースの酒井さんがネタを作っていたと言う幻のホトトギス時代のネタでも「知らない3人がたまたま会話していたんだけれど色々話していくうちにみんな団地住まいである事が分かる」と言うものがあったそうです。
メディア(漫画、舞台、映画など)ではあまり『団地』と言うキーワードをテーマにした作品はニッチと言うか、代表的なものはないんですよね。
その為、当たり前すぎて気づかなかったかもしれませんが、おそらく昭和世代で今ベテランと呼ばれる年齢の人には『団地』と言う共有できる原風景があるのでは、と。
団地とは公団。公営団地ですね。今でいうUR(都市再生機構)です。「URであーる」って奴。
マンションとかじゃないんです。
転勤族の人も結構団地に住んでおり『家庭の事情』で引越しする事になる同級生も一定数いたような気がします。でも一期一会って訳じゃないですけれど「もう会えなくなるんだな」って感覚は別に悲しくはなかったような気がします。「そう言うもんなんだなぁ」って気分ですかね。
あと、不思議と友達の両親の職業とかって全然知らないんです。詮索をかけようともしない。
基本的にお父さんが帰ってくるまでには解散するので会ったこともほとんど無かったです。
それに関連して『団地=夕方』と言うイメージもあります。当時、夕方になって日が暮れてくるとみんな夕食の時間になるので「今日の遊びはここまでか。また明日ねー!」と言う感覚が強いからかも知れません。団地の共通広場みたいなところでみんな遊んでいたので兄弟とかが「母さんがご飯出来たって言ってるから帰ってきてって!」みたいな感じで呼びにきていたのをちょっと今、思い出しました。
なんかその頃ってほとんどの家庭の夕食の時間って一緒だったんじゃないかな?って思います。大体夕食が19時位。
だから同じ時間にテレビを見て翌日の学校の話題にするのが当たり前だったのかもしれません。
あの頃が懐かしいな、とかあの頃に戻りたいな、みたいな感覚は全くないのですが「なるほど自分を形成した要素として確実に『団地』ってのはあって、それは僕と同世代の人の共通の要素なんじゃないかな?」なんて思った次第です。