バナナマンのラジオ(TBSラジオ:金曜JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD)を聴いていると定期的にグルメの話になることがあります。
グルメの話題はその時で様々なのですが話しているとかなりの確率で下北沢時代の話になるんですよ。多分2回や3回じゃないと思います。ただその話になっても「またあの話か…」とはならないんですよね。擦られたエピソードなのに毎回楽しく聴けます。
あと、バナナマンと僕は年齢がほぼ一緒なので「この歳になると若かった頃の懐かしい食べ物に回帰するんだよな」とついつい懐古してしまうんですよね。こればっかりはしょうがないです。歳をとるのも悪くはないものです。
バナナマンがこの話をすると設楽さんがほぼ確実に話すエピソードで「日村さんが『美味い穴子が食べられる屋を見つけた!』って言うからオークラ(作家)と行ってみたの。そしたら”大戸屋”だった。穴子フェア期間中だっただけ」と言うのがあります。
ネットとかが無い時代だったから自分の足で探して自分の舌を信じて美味しい店を見つけた時の喜びは今ではなかなか体験できないかもしれませんね。今だったら新しい場所に行く時ってネットでその土地の名店を検索しちゃいますよね。逆にその店目的で移動するとかですね。
大戸屋に関しては僕も荻窪駅の近くのお客様先で働いている時に「仕事終わりにビールが飲めて定食が食べられるいい店だな〜」と思いながら大戸屋をよく利用していました。確か当時の大戸屋の戦略は1Fには店舗を持たずに外から状況がわからないようにする。それによって女性が1人でも入りやすい状況ができる(あとテナント料が安くなる)ものだったと思います。
カプリチョーザとかも結構ラジオで出てきますね。こちらも有名なチェーン店です。
設楽さんは多分、下北沢時代にかなりの頻度でカプリチョーザと餃子の王将に行っていたはずです。昔アメトーークの『餃子の王将芸人』の企画で「音だけで何を作っているか当てる」というクイズがあったのですが、見事に設楽さんが”チューリップ”を当てていますからね。
僕は下北沢にはあまり行かなかったです。本多劇場やスズナリがあるので劇団の舞台を見に行ったのと北海道にあるスープカレー屋であるマジックスパイスが下北沢に出来た時に行ったくらいかもしれません。
なので、ラジオを聴いていても「あぁ、あの店か!」とならないのが残念です。同世代で僕も関東にいたので同じ店を体験する事はできたのですが…。
ちなみに当時の下北沢って”汚かった”んですよ。ゴミが路上に溢れているとかではなくて、キラキラした都会ではなくて、陰湿で混沌とした街だったような記憶があります。決してオシャレでもなく、かといってサラリーマンが通勤するような街ではなくて、売れないミュージシャンや劇団員が詰め込まれている街っていうイメージ(こう書いていますが別に貶している訳ではないです)でした。でも、なんかものすごい「売れてやる!」と言った謎の力が籠っているような街。
僕も家系ラーメンが今ほど有名になる前に偶然遭遇しており、その美味しさに驚愕した思い出があります。事前知識とか全くない状態で新しい味に出会えるのはものすごい興奮します。すぐに会社の人(主に一緒に飲む人)に教えてまわって「マジであの店美味しいな!」と喜びを共有してました。
コロナ禍で飲食店が大ダメージを受け結構な数のお店が閉店してしまったり個人で経営している店が年齢などを理由にお店を畳んでしまう事も多いので”懐かしのあの味”を味わえる機会はどんどん減っていくんですよね。悲しいけれど仕方がないです。
当時(下北沢時代)のバナナマンはまだTVでブレイクしておらずライブとバイトで生計を立てていたんですよね。
「お金はなかったんだけれどね、時間だけはあったなー」
成功者が昔を懐かしむ時の鉄板フレーズなんですけれど、やっぱりそうだよなぁ〜とラジオを聴きながら再認識してしまいました。
ちなみになぜか同世代のおぎやはぎさんは相当なグルメでTVでたまに見る笠原さんが経営する『賛否両論』と言う店に出来たばっかりの頃から行っていたり…とか色んなラーメン店を知っていたりとかギャップがあります。サラリーマン時代の蓄えがあったとは言えそこまで違うのか……と。
日村さんが「設楽さんと矢作さんが薦める店は絶対に美味しい!」と言っている位なのでやはり根底はバナナマン(設楽さん)もおぎやはぎさんもグルメなのでしょうね。
日村さんだけバカ舌傾向がありますが、そんな日村さんが今グルメ番組をやっているのですから……不思議なものです。