日常的にパンと言うものを食べていない。
パンが嫌いなわけでは無いが主食としてはお米が多い。朝食は圧倒的に米派。
喫茶店のモーニングのトーストにも憧れるが数軒隣に朝定食がやっている店でもあれば足は勝手にそちらに向かう。
ランチや夕食の時のセットで「パンにしますか?ライスにしますか?」と聞かれた場合は”ライス”と即答している。なんなら喰いぎみで「ライス」と言うほど。バイキングでもパンは手にしない。そのため焼き立てのクロワッサンの美味しさはわからない。
何故だか考えてみたのだが、おそらく子供の頃から日常の食事としてパンを食べていないからだと思う。これは生まれた家の食事に表れると思う。
昭和生まれの僕は明治生まれの祖父、大正生まれの祖母も含めた家庭で過ごしていた。そうするとパン(トースト)なるハイカラな食べ物より「日本人なら米でしょうが」と言う食事になる。
もちろん食パンは食べていた。まず学校給食の主食が基本的にパン。そしてたまに小学生としての食欲促進剤である“ジャム“が出るからだ。当時はイチゴジャムとブルーベリージャム。変わり種としてはマーマレードだった気がする。
コンビニの惣菜パンや菓子パンも食べるけれど、おにぎりの割合の方が圧倒的に多かったように思える。
芸人が貧乏エピソードとかで出してくる“デカくて甘いパン“はほとんど食べた事が無い。焼きそばパンとかマヨコーンパン、カレーパンは食べていた。
今となってはジャムパンやメロンパンを食べたいような気がするが無邪気にそう言うパンに手を出すには年をとりすぎてしまった。
貧乏芸人ご用達。甘くてデカいパン
例外的に取り憑かれたように菓子パンを食べ続けた時期はあった。高校時代、“チーズ蒸しパン“を本当に毎日のように食べていた。人生に何回かある「世の中にこんな美味しい食べ物があるのか!」と言う食べ物シーズン。有頂天の『オードリーヘプバーン泥棒』と言う曲に乗せて流れるチーズ蒸しパンのCM。なんであんなに毎日食べていたのか今となっては不明。
会社に入って、まだ若くガムシャラに仕事をしていた頃。週末に新宿で先輩とかと飲んで終電を無くしカプセルホテルに泊まっていた時は、翌朝に酔いを醒ますために近くの西武新宿線近くのルノアールのモーニングを食べていた気がする。モーニングを美味しく食べられるか、コーヒーを飲むだけで精一杯かは、前日の酒量次第。若い頃は本当に飲んで飲んで、翌朝の朝食を蔑ろにしていた。今考えると勿体なかったシリーズの1つ。
時は過ぎて歳をとってからは月に1回の通院イベントをこなしている。メンタル系の方。基本的に土曜の朝に通院している。通院歴も長くなり薬を処方してもらうだけのイベントになっている感じはあるけどたまに早く着き過ぎた時は最寄りの喫茶店でモーニングをいただくことがある。
喫茶店のモーニングは名古屋のような過剰なほどのボリュームではなく『コーヒーとトースト、ゆで卵』と言うオーソドックスなものが好き。トーストにはバターを。なぜゆで卵を出す店が多いのか謎ではあるがなんか美味しい。今考えると目玉焼きやオムレツを作る手間を省いているからかもしれない。
少し思いだしたのは、子供の頃もたまにトーストは出てきた。大抵目玉焼きとセット。目玉焼きには醤油と言う概念が生まれたのはこの頃だと思う。汚い食べ方だが、目玉焼きを食べ終わった皿に残った黄身や醤油をパンに吸わせて食べる食べ方を思いだした。食べ終わると目玉焼きの皿がキレイになる家でしかできない食べ方。
パンが嫌いなわけでは無い。
老後は家の近くの喫茶店に毎朝のルーティンとしてモーニングを食べに行く生活に少し憧れたりする。いつも座る指定席みたいなものが出来たりして周りも顔なじみ。新聞を読んだあとに小説を少し読んで退店。……映画に出てくるような生活。ちなみに今住んでいる街にそう言う喫茶店はない。良く考えたら朝からやっているマクドナルドにいつもいるご老人たちもそんなモーニングに憧れているのかも知れないな。
最後に中学時代に通っていた塾のエピソードを。
英語の授業で「パンを英語で書け」と言う問題が出た。正解は”bread”。ちょっとお馬鹿でムードメーカーな塾生が「単語は出てきたんだけれどスペルが分からない!」と言う。先生は「カタカナでも合っていたら部分点を与えるから書け」と恩情を出したのだが、お馬鹿な彼は自信満々にカタカナで『トースト』と書いた。残念ながら点数は貰えなかったが中々パンチが聞いたエピソード。当時の小樽はそんな時代だったのだ。