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僕の3.11経験

本日は3月11日である。

そう、あの大地震があった日だ。

不謹慎ながら、僕は今日がその日で、何時頃地震があったのか、そういう事すらうっすら忘れていた。

僕が地震を経験した時。

僕はあるビルの30階でいつも通り仕事をしていた。誰かが「あれ?めまい?俺だけ?」と言った。

そのうちに揺れを僕も感じて「めまいじゃない、地震だね。」と言った記憶がある。

その後、地震の強度はみるみる強くなっていった。高層建ての建物の場合、負荷を減らす為に良く揺れるようになっている。カチカチなら、ポキンと折れるからだ。

毎年、災害訓練が行われるが、それがリアルになった。

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みんなが机の下に隠れる。椅子はワルツを踊るように、くるくる周り、他の椅子をぶつかり方向を変えていく。地震対策していなかったプリンターは普段はあんなに重いのに、するする動いて柱にぶつかり穴を開けていく。

一旦、地震が収まる。

唯一の救いはtwitterが生きていた事だった。twitterで生存確認をし、地震の被害を訴える。その時に心無いtwitterユーザーが嘘の情報を流したのは悲しかった。

勿論、エレベータが動いている訳も無く、僕らはビルから階段を使って下りる。避難訓練をしているせい…でも無く、こんな本当の地震の時も整列は乱さなかった。

一旦、外に出て安否確認を行う。誰かが携帯のワンセグでNHKを映した。そこには、目を覆いたくなるような津波の映像が流れていた。

ただ、東京に住む僕たちはよかった。なぜか「安全の確認が取れましたのでビルに戻ってください。」とのアナウンスが流れた。今思っても不思議である。

定時内だったので、また階段を使って戻ったが、余震は何回も僕たちを弱くさせる。電車は勿論止まっているし、まだ肌寒い季節だ。

僕のチームは定時と共にまた階段を下りて外に出た。暖をとりたかった。

近くにある、平屋の居酒屋にみんなで移動した。まだ、他の人が移動する前だったので個室を取る事ができた。ガスコンロなら揺れても大丈夫だろうと鍋を頼み、各々が実家や友人、親族に生存連絡をした。

その後、タクシーが走っているか調べたが、タクシーは全然走っておらず、僕たちは他の店で日本酒を頼み暖をとった。

そして、今日は家に帰れないと判断し、また会社に戻った。良かったのは会社にはコンビニが併設されておりまだお酒が残っていた事だ。

お酒を飲み暖をとる。僕の働いているビルは大きかったからか、こういう時の為に、毛布とパンが用意されていた。僕は仲間と毛布にくるまり酒で身体を暖め、短い睡眠についた。

会社のフィルターにyoutubeが引っかかっていなかったようで、朝、目を醒ますと後輩がyoutubeを見ていた。たしかNHKと民放の数局がyoutubeに同じ放送を流していたハズだ。英断だと思う。

そうこうしている間に、僕が帰る路線が復旧したので、僕は一旦家に帰る事にした。家に帰っても仕事が出来るようになっていたから。

最寄りのコンビニには食料品が無くなっていたがビールがあったのが救いだった。

僕は数日間、誰が見る事なくUstreamを配信し続けた。東京の現状、そして、実際の被害について報告したかったから。

計画停電や、電力会社が批判し続けれられた。CMは当たり障りもないが、だけど二度と見たくない物が流し続けられた。

TVを付けると、時折、緊急地震速報のチャイムが流れる。

沢山の被害者を出した震災。僕の経験は以上だ。

二度と起こって欲しくないと思うが、僕たちが住む島国は地震プレートの上にある以上、これは避けれない。

ただ、思うのは、地震だけなら耐えれた。津波が予想以上だったのだ。

あとは、原発に対する判断だ。僕は反原発派ではない。地球上には地震が構造上起きない場所もあるのだから、そう言う所に原発を置けばいいと思う。

でも、あの判断はなかった。

それを思うと、いまでも悔しい。

福島産の野菜の放射線量が…と思うとやりきれなくなる。

日本は、日本人はもっと強い人たちだ。

だから、あの時の判断を教訓に、今後、もっとタフに対応出来る事を祈るばかりだ。

ただただ、亡くなった人に黙祷。

そして、今も不十分な生活環境しか与えられていない人に、「頑張れ!」と言うしかない。

 

 

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