僕は非常にしばしば「屁」をする。人は誰でも「おなら」はでる仕組みになっていてるのだ。だから、僕も自然の定理にしたがって屁をする。行為なので「放屁」だ。ブッ、とやる。
僕は屁をするのが好きだ。爽快感がある。まぁ、「ぷすぅ~」ってのは不完全燃焼で気持ちよくはないが、「ブッ!」ってのは非常にスッキリとして、 気持ちいい。「してやったぜ。」ってなものである。
勿論、僕にも社会人としてのエチケットと常識は持ち合わせているので、人が沢山いる所やエレベーター、電車などの中ではしたくなっても我慢する。 ただ、夜とか帰り道では、人が近くに誰も居ないのを確認して、「ブバッ!」っとぶっ放す時がある。
一番フリーダムなのは、僕の家である。一人暮らしなので、誰にも遠慮はいらない。好きなときにぶっ放つ。その姿はさながら暴発した銃のようでもある。
最近の一番のお気に入りの屁こと、「マイフェイバリット”屁”」は布団の中で放つ一撃である。この時は音も振動も超弩級のものが望ましい。下の階の住人が、「すわ、何か爆発したか!?」と思わせるほどの一撃が出たときは快感極まりない。大満足の笑みを浮かべて眠りに着くのである。きっといい夢が見れるであろう。
屁もマスターしてくると、「実が出る危険のある奴」と「空気のみで音が出ないがくさい奴」と「音は凄いがにおいはそうでもない奴」の区別がつくようになる。ここまで行けばマイスターだ。屁マイスターである。マイスターはこれを判断してTPOをわきまえた「屁」をするのである。
うん、屁が好きだ。みんなもっとブッってやればいいんだよ。
「屁=恥ずかしい」と言う文化が廃れて、まるで「眠いからあくびでも出てしまったよ」くらいの市民権が欲しいものである。そうすると、「もらいあくび」ならぬ「もらいっ屁」ってのも出てくるだろうな。連鎖する屁。奏でるはさながらボレロである。
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と、ここまで読んでいて、「波秋狂ったか?」と思われるかもしれない。誤解なきよう。疲れているのだ。人間疲れている時は油断して、思っている事が口に出てしまったり、屁が出てしまったりするものなのである。
このブログは、2011年4月6日の「ニシエヒガシエ」と言うWeb日記から転載しました。
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