原田宗典さんのエッセイのタイトルです。
言い得て妙。
考え事しながらATMでお金をおろしたらお金を取るのを忘れた事があります。
気がついて戻った時にはお金はありませんでしたし、口座からはお金が下ろされたまま(お金を取らないで時間が経つと、自動で受け取り口が閉じて下ろした事がキャンセルになります。)隣でお金を下ろしている人に持って行かれたのでしょう。あの赤ネルシャツめ。…こんな事が1ヶ月に2回もありました。
今はそんな事ありませんが、当時は「俺はADHDなのか?」と思った程です。お金が勿体なかった。
「まぁ、ADHDには天才肌の人も多いので、俺もそうなのかなぁ?」なんて自分に言い聞かせたものです。
平凡に生き、平凡な家庭を築き、平凡なお小遣いの中で平凡に生きる。
そんな生活をしたかったような気がします。
同期のほとんどは結婚し、子供を作り、車を持って乗って休みの日には子供と遊んだりゴルフに行ったりしてます。僕にはそういう生活ができなかったのかなぁ。そういう性格ではないのかなぁ。と思ったりします。
酒飲んでギター弾いてギャンブルしてた。
でも、平凡じゃないから人生面白くもあるんです。
41歳。色々な経験をしてきた。警察に捕まるようなこと以外、殆どやったのではないだろうか?と思います。(いや、今では捕まる様な事も?)
平凡に生きた人が経験できなかったような事の殆どを経験したと言う自負はあります。
でも、そんな波乱万丈な僕の人生だって、他人から見れば「平凡でうだつの上がらない独身男性」にきっと見えるでしょう。電車に乗って入れば部長もヒラも同じ乗客と同じ理論です。
でも、「あぁ、平凡な人生だなぁ。」なんて思っている時こそ、一番幸せなのかもしれないなぁ、って思うんです。
非凡な人生なんて他人が決めるものかもしれない。僕は今、平凡を求めて平々凡々に生きている。
平凡なんて、あるわけない。
There are no ordinary moments.(ダン・ミルマン)
と、思ったある秋の前日でした。