今年(2016)のM-1はリアルタイムで見ました。結構面白かったです。優勝は銀シャリでしたね。おめでとうございます!
個人的には、決勝に残った、和牛やスーパーマラドーナの方が面白かったですけれど、漫才ですからね。
その後、おぎやはぎのラジオを聞いていたのですけれど、M-1について角が立った言い方はしなかったのですけれど、「M-1は”競技漫才”だからね。」と言う発言をしていたのが興味深かったです。
確かに、いくつかのコンビはマイク1本の前で話すと言うスタイルでなければコントでも通用したと思います。
でも、そう考えると、漫才とコントの違いが分からなくなってくるんですよね。
オール巨人師匠が「漫才と言う定義で行けば」とコメントしていたのも気になります。
確かに、今、日本のお笑いの賞レースには、
漫才日本一を決める「M-1」
コント日本一を決める「キング・オブ・コント」
ピン芸人日本一を決める「R-1ぐらんぷり」
があります。
でも、R-1の”R”って”落語”の”R”なので、その定義で行ったら、R-1に出ている人は完全に定義を守っていませんね。まぁ、主催者側としても、こじつけでつけた名前だと思うのであまり気にしていないと思いますが。
そう考えると「漫才」の定義って難しいですよね。僕は「ボケとツッコミ」がいて、センターマイク1本の前でお笑いを提供するのが漫才だと思うのですが。
漫才(まんざい)は、古来の萬歳を元にし愛知県の尾張万歳の影響を受け、日本の近畿地方で独自に発達したとされる、主に2人組で披露される演芸・話芸。2人の会話の滑稽な掛け合いの妙などで笑いを提供する。-Wikipedia
Wikipedia先生でも、このようになっているので、やはり固定の定義は無いようです。
でもやっぱり銀シャリを見てると「あぁ、漫才師だなぁ」って思うんですよね。
今回の賞レースも吉本が強かったです。基本的によく「吉本の出来レースだろ。」と言われる事も多いのですが、確かに審査員も吉本勢だし、(逆にキング・オブ・コントは審査員に関東勢が多いです。)確かに吉本芸人が強いと言うのもわかります。
ただ、「漫才」と言うものを日本に広めたのも吉本の功績ですからね。そう考えると仕方がないのかもしれません。
ただ、ここ数年ですが、M-1優勝とTVでの露出が必ずしも一致する(売れる)訳ではない現象が起きています。
確かに、フットボールアワーやオードリーは実際には準優勝でしたが、今、TVの第一線に出て色々なお笑いを提供してくれます。
必ずしも、「M-1で優勝したから売れる」と言う時代ではなくなっているのが事実です。漫才は上手いけれど、フリートークが下手とか、決まったフォーマットしかできずに応用が効きにくい。漫才師としてはそこが武器なんですけれど、TVでの使いやすさとしては厳しいところがあるんですよね。結構難しい問題です。
しかし、面白い漫才師がたくさん出ているのは事実。
ここは「競技漫才」ではなく、観客投票やTV投票などを含めて、「一番面白い」お笑いを決定してほしいものです。
(今回のM-1の唯一の欠点は一番上座の審査員席に上沼理恵子さんが座っていた事です。また、81点など極端に低い点数をつけたりしていたので。「なんか違うんじゃないかなぁ。」って思ったので。)