村上春樹さんの新作「騎士団長殺し」が発売されました。と書いてみたものの実は村上春樹さんの作品を一度も読んだことがないし、ハルキストなる存在も名前しか知りません。
なので、これを機に一回、村上春樹を読んでみようと思ったのです。せっかく読むのなら、処女作が良いと思い、「風の歌を聴け」を買って読みました。思っていたより非常に薄く、直ぐに読み終えました。
第一印象を箇条書きにしてみます。
- おしゃれな言い回しを書き集めてできている
- 常にビールを飲んでいる
- 日本らしさを感じない
です。
1.「おしゃれな言い回しを書き集めている」は、これが村上春樹ワールドなのだと思います。とにかく、哲学的な言い方、おしゃれな言い方。それの連続で話が進んで生きます。なので、読みやすいですが、鼻につく人も多いのではないでしょうか?これが村上春樹の好き嫌いに分かれる原因だと思います。オシャンティーですね。
2.「常にビールを飲んでいる。」は、本当に時間があればビールを飲んでいます。僕はビールが好きなのですが、そんなにビールばかり飲んでたらシラフの時がないだろう?と思わせるほど飲んでます。あとは時代背景からか、飲酒運転が当たり前になっています。
3.「日本らしさを感じない。」は、「山の手」や「10円玉」と言う日本を表す単語が出ているのですが、行きつけのバーは「ジェイズ・バー」だし、マスターは「ジェイ」だし、流れる音楽は全て洋楽だし、乗っている車は全て外車です。意識しない限り、どこかの外国の物語であると思ってしまいます。これは作者の技量なのだと思います。
まぁ、それでは村上春樹を知ったことにはならないですね。
この本は流して雰囲気だけを味わうのであれば、1時間あれば十分です。しかし、この本には色々なキーワードがあり、色々な点でそれらがリンクしています。
デレク・ハートフィールドの存在とメタ文学。
本小説は”デレク・ハートフィールド”と言う作家に影響を受けている。そして、あとがきでは村上春樹は実際にデレク・ハートフィールドの墓参りに行っている。となっていますが、このデレク・ハートフィールドは架空の作家であり実在はしないのです。本編の中では実際に彼の著作からの引用もあるが、もちろん架空の作品です。
また、本編とあとがきでデレク・ハートフィールドが出てくることより、メタ文学としての体をなしている所が面白いです。
また、有名な一節、
完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
村上春樹自身、この一節を書きたいがために、この小説を書いたと言っているし、迷った時や悩んだ時に、この一節を思い出すようにしているそうです。なので、この小説を理解するためには、この一節を理解する事を意味すると思います。
この本を読み終わった後で、もう一度読み直そうと思った人は下記の存在の小説内のリンク(関係性)を探そうと思った人だと思います。
- ジョン・F・ケネディの一節を持ち出す女性
- 指が4本しかない女性
- 旅行に行くと言っておきながら堕胎していた女性
- 娘の看病の為に大学を退学(休学ではなく)した女性
おそらく、それらの女性は色々な場所でリンクしていて(時には鼠の書く小説の中で)、それらが何度も読ませるトリックになっていると思います。
通常、多くの小説は伏線を回収し、読者に読後感を与えます。しかし、この作品は、全く伏線を回収せずに、回収を読者に委ねています。
なので、この伏線を回収しようとすると村上春樹ワールドにハマってしまうのでしょう。普通に読んでいただけでは、ただ「僕」が過ごした夏休みの日記であり、物語性は全く感じません。読後感も「結局、何を言いたかったのだ?」で終わってしまうはずです。
一回読んだだけでは、タイトルの「風の歌を聴け」の意味も全くわからないですし、有名な一節の意図する意味も全くわかりません。
ちなみに、この処女作は「鼠3部作」とも「羊4部作」とも呼ばれているそうで、その後の「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」と繋がっているそうです。
僕はこのキザな言い回しは嫌いではないので読んでみようかな?と思います。それらを読んだ上で、もう一度謎解きにチャレンジしてみたいです。
でも、この文体に影響されすぎると僕が書いている小説にも村上文学が侵食してきそうなので、そこは意識しようと思います。それほどインパクトのある文章ですね。
さすが、良くも悪くも注目される作家なんだなぁ、と思った次第です。