ポリシーとかこだわりを一切持っていない人は嫌い、と言うか人間的に魅力を感じません。
とは言えみんなで物事を決める時に「別に何でもいいよ」と言う僕もいます。いきなりタイトルと反しますけれど、その中で「どっち?」と聞かれたらきちんと回答します。
それは自分のポリシーを持っているからです。
「別に何でもいいよ」と言うのはまぁ、多数決の原理ですね。ポリシーを持っていても、自分の主張を強調したくはないので。(何でもかんでも「俺はこれ!」と周囲を巻き込むのも問題です)
食べ物とかでも二択になったら結構速攻決められます。それもポリシーがあるからです。(あと血液型がB型と言うのもあるかも…)
あとは、全員が同じ方向に向かっている時に「俺は、違ってxxだな」って言うこともあります。それもポリシーを持っているからですね。
店が変わる場合はそう言うことはあまり言いませんが同じ店なら結構みんなと違うものを空気を読まずに頼んだりします。
いろんな会話に話を合わせて、「わかるー」「やっぱそうですよね」って言う自分のポリシーを持っていない人ってあんまり好きではありません。
もちろん、ビジネス上だと仕事なので、場面をわきまえてきちんと連携してしますけれど、それは仕事上の話であって、本心から腹を割って話すような事はないです。
あと年齢とか関係なく、年下でも「それは違うよ。」って言ってくれた方がこちらもスッキリしますし、逆に信用します。言われるぎるとムカッと来ますが…でも、こっちも言いやすいってもんです。
勿論、すべての事にポリシーやこだわりを持つ必要はないと思います。疲れちゃいますからね。興味のない事は適当でも良いと思います。でも、一つや二つはこだわりや生活のポリシーを持っていて欲しいですね。
その方が生きていて楽しいんじゃないかな?って思うんですよね。時折、生きる上での足枷になるかもしれませんが、それもまた自分です。
僕はお笑いにポリシーを持っています。僕の中でのお笑いの基準とかがあるんですよね。だから、時には激論になる事もありますが、話題ってだけで自分が面白くもないお笑い芸人を「面白いよね!」とは言えません。
「つまらないと思う。」と言うと場面だと喧嘩になるのでそう言う時には「俺にはちょっと合わないなぁ。」位でお茶を濁したりしますけれど。
音楽についてもそうですね。嫌いな曲を「いい曲だね!」とは褒められません。流行っているからいい曲って訳ではないので、僕の中の基準を持って「好きな曲、嫌いな曲」ってのをはっきりさせます。僕は基本的にミスチルが好きですけれど中には嫌いな曲もありますからね。
なんか、そうやって、芯とかポリシーとかがあるのってやっぱりいいと思います。逆にそう言うのが一切ない人って「何が楽しくて生きてるんだろうな?」って思ってしまいます。でも、逆に考えれば流されて生きるのが楽ですからね、そう言う生き方もあるのかもしれませんね。
まぁ、ジャンルは合わずともそう言う芯を持っている人は好きです。僕の友人連中とは音楽の趣味なんてぜんぜん合わないですからね。でも、それでいいと思います。
自分自身できちんと好きな音楽があれば、自然とそうなるはずですし、同じ嗜好が出てくれば無敵ですからね。
なんでもいいですから、自分の趣味・嗜好にはこだわりやポリシーを持ってもらいたいなぁ、そう言う人と付き合っていきたいです。