宮森はやとさんと言うちょいとしたネットの有名人がいます。もともと政治家を目指してたけれど逃げ出して、ハイパーリバ邸と言う溜まり場を作ったけれどそこで半分アル中状態に。その後、本格的にラッパーを始めて両親に捧げるラップを動画にアップした結果、2週間で「世の中にそんなに不満が無かった」と言うパンクな理由で現在は画家としてやっているそうです。
僕は自分に危害を加えない存在の人の生き方に関与する気持ちもありませんし、「ロックな人生だなぁ」と思って見ているだけです。
ちなみに美大などには行ってないし絵の勉強はしていない。全て独学だそうです。バスキアチックなタッチの絵が多い模様。
いつかは個展を開きたいそうです。共同展示ではなくて、あくまでも「個展」に拘っている模様です。
そのうちに画家としてドンドンストイックな方向に向かって行き、「自分のブログに広告を貼って広告収入に逃げたく無い」という理由でブログから広告を外した模様です。
彼のご両親が資産家なのかとんでもなく貯金があるのかはわかりませんが、それだと普通に生きていけないですよね。
そこで彼がとった手段はクラウドファンディングです。サポーター募集ってやつですね。1年間の活動費として50万円強のお金を調達できたそうです。
ただ、実家住まいとかでも無い限り、「生活費」ってのはかかると思うんですよね。家賃、水道光熱費、食費。その上での画家活動だと思うんですよね。それって1年間50万円では過ごせないのでは無いでしょうか?
その後、宮森はやとさんは、これまたネットで有名なイケダハヤトさんに「法人サポーター」になってください!とお願いしました。「現代のパトロンになってほしい」と。
それも無事成功し、月5万円の支援をもらえるようになったそうです。年間だと60万円ですね。
合わせて110万円。これ、本当に生活していけるのでしょうか?まぁ、自身の絵が高額で売れれば良いのですけれど。
中世ヨーロッパの芸術家には実際にパトロンがいて成り立っていました。
今もいますけれど今のパトロンって言う表現はあまり良い風に捉えられないかもしれませんね。スナックに働いている女性が若くして自分の店を持てるようになった場合、「いいパトロン捕まえたな」なんて思ってしまいます。
そもそも、パトロン(patron)とは、
後援者、支援者、賛助者、奨励者、または特権を持つ人や財政支援をする人をいう。-Wikipedia
だそうです。
美術史や音楽史においてのパトロネージュは、王や教皇、資産家が、音楽家、画家や彫刻家等に与えた支援を指し、自身の社会的地位および特権を強化するために利用していたそうです。
そう言う意味ではスポンサーとしては間違えてないとは思うんですけれど。
中世ヨーロッパのルネサンス期
現代でいう「○○はわしが育てた」感覚を味わいたかったのだろうとおもいます。
話を戻して110万円で、足りなくなったらまたクラファンや法人スポンサーとかを募るのではなくて、一人のパトロンの道楽として、お金に不自由せずに芸術活動ができるのが正しい姿だと僕は思うんですよね。
複数人の後援者が付くのはわかるけれど、芸術界のパトロンとしては1人ではないか?と思うんですよ。
いざ、宮森はやとさんが画家として大成して、作品にものすごい価値がついたときに「わしが育てた」と自慢できる人はいないんでしょうね、きっと。「僕たちが育てた」、もしくは「僕も彼の大成には一枚噛んでましてね」位が精一杯でしょう。
本人は、「自分を信じてくれた沢山の人に支援してもらって今の僕がいます」と言えるのでしょうが、まぁこの感覚はお金をだす(金額が多ければ多いほど)人の感覚なので、実際に僕がどうこう言う話では無いんですけれどね。
現代のパトロンの正しい姿ってのは色々あるんだな、って今回の件を見てて思ってしまいました。