はじめに
去年あたりからブレイクし始めた芸人、平野ノラさんの芸風は「バブル」ですよね。肩パットが入ったケバい格好をして、「しもしもー」って喋るやつです。
この芸人を見る時に、バブルを知っている人は「あぁ、あったなぁあんな時代」と思うでしょうし平成生まれの人は「へぇ、クソだせぇ」って思うかもしれません。
僕自身、バブルの時代には高校生だったんですけれど、いかんせん北海道の片田舎で両親もサラリーマンでは無かったので恩恵というものはありませんでした。
僕は1993年に会社に入ったのですが、その頃にはもちろんバブルは崩壊していました。
ただ、入社した当時はそこかしこに「バブルの残り香」がしたので、ちょいとそれを思い出して書いてみようと思います。
よく見るイメージ
タクシーを札束で止めたイメージが強いと思います。映画とかでもこのシーンが印象的なのでは無いでしょうか?
僕自身は、この現場に遭遇した事はありません。
ただ、当時はタクシー券使い放題だったはずなんで、実際どうして居たんでしょうね?まぁ、レシート(領収書)切ってもらえば、会社に経費で落として貰える時代だったのでどうにでもなったのでしょうが。
感じ的には「電車で帰るなんてダサい」って風潮だったんでしょう。
行動力が無駄にすごい
本場の札幌ラーメンが食べたいってだけで、その場のノリで飛行機で北海道へ。次は「豚骨と食べ比べよう!」ってなったら、そのまま札幌から福岡へと移動。
焼肉が食いたいからその足でフラッと韓国へ行く。
当時はよく芸能人のエピソードでこういう話題を話していました。ネットも食べログも口コミサイトも全くない時代だったので、無駄にお金を持っているだけに、行動力だけはたっぷりとあったんだな、って思います。
あと、「その場のノリで飛行機乗っちゃう俺ってかっこいい」って言う謎のステータスがあったんでしょうね。
経費が使い放題
新人時代、営業が年度末に「経費が余ってるから」と言って銀座で合コンを開いてもらった事があリマス。記憶を辿ると営業も新人だったはずです。
経費で落ちるので僕たちは無償。合コンなので、「接待費」としては落ちないと普通は思えるんですけれどこれが落ちる時代だったんですよね。すげー時代でした。
ちなみに、その時、バブル名物の”生ハムメロン”を初めて食べました。その店の生ハムメロンには上にクコの実が乗っかってて僕は苦手でしたが。
もはや意味不明の食べ物
シャンパン=ドンペリってのがステータスと定着したのもこの頃からだと思います。
ドンペリでも、”ピンドン”と言ってピンクのドンペリ(ドンペリのロゼ)がステータスでしたね。
多分、味もわからずに名前だけで飲んでいたんでしょう。
遊び場がたくさんあった。
当時はジュリアナ東京で踊る(お立ち台ってのがあってそこに登る)のがステータスでした。当時はネットが無いので娯楽は沢山ありました。僕が新人時代も部署の綺麗な女性たちが「今日、会社終わったらジュリアナ行こうよ!」と会話していたのを思い出します。
少々古く思うかもしれませんでしょうが、ボーリングだって大事な娯楽でした。横浜のハマボール、田町の田町ハイレーンなどは本当に有名でした。両方とも時代の流れで閉店してしまいましたが。
カラオケボックスも現在のチェーン店だけでなく個人経営のカラオケ店も多かったですね。とにかく数はありました。ただしデンモクとか無い時代だったので、電話帳みたいな本を見ながら曲を入れます。歌う曲の番号を暗記していて、何も見ずに入れるとかっこいいと言われてました。
秋葉原は今はオタク(アニメ、漫画)の街になりましたが、当時はオタク(電気部品、コンピュータ)の街で、今ビジネスビルが立っている場所はバスケットコートだったり巨大駐車場だったりしました。
お金持ちは女の子と接点を持てた。
アッシー君、メッシー君とか言う存在がいました。
彼らは「親が金持ちで良い車を持っている」、「親が金持ちで沢山お金がある」と言う人種です。
今の時代だと、いい車に乗っていても女性とは接点が持てないと思いますけれど、当時はそう言う車に乗っているだけで美人から「送って」と言う連絡があったんですよね。
女性側からはただの移動手段の一つだけでしたけれど。
あとは「イタリアンが食べたいなぁ、イタリアンなら田中くんか」みたいな感じで飯を奢る為だけの存在もいました。
彼らは「美人とドライブしている」「美人と飯を食ってる」ってだけで満足してそれ以上の事は求めません。その美女にはとびきりイケメンの彼氏がいるのですから。
ただ、金があれば美人とお話しする接点が持てたのは事実です。
金利がすごい
僕の会社は社内預金があったんですけれど、金利が年利6%でした!信じられますか?100万円預けてれば、年間勝手に6万円増えるんですよ。
今の銀行の金利が、0.001%ですよ。金利6000倍だったんです。
なので、昔の人は博打(資産運用)せずに貯金しかしません。頑なに銀行を信じています。いまの人は銀行にお金を預けて増えるってイメージが無いでしょうから、色々と資産運用するんですよね。
当時はそれだけ金回りが良かったんです。
簡単に言うと、銀行は「お金を貸したくてしょうがない」状態だったんです。いまみたいな審査よりももっと緩かったです。
ここら辺は2000年以降のアメリカのサブプライムローンと構造は一緒です。
ただテクノロジーは未発達
さて、「やっぱり昔の人は金があって楽しそうじゃないか!」と思われるかもしれませんが、やはり不便な点もあります。
そもそもテクノロジーが発展していないんです。インターネットという現代のインフラが全く存在しませんでしたからね。
通信手段は、ポケベルという”お互いに数字のみを送る”機能しか持っていないツールしかありませんでした(のちにカタカナ対応しましたが)
大抵は「ここに電話しろ!」と言う連絡目的でしたが、カップルとかは「14106(=あいしてる)」とか独自の言語を作って会話していました。
唯一のコミュニケーションツール。LINEなんて無いですよ!
ポケベルなので、現代の必須ツールであるスマホどころか、携帯もなかったです。携帯はあってもショルダーホンと呼ばれて、肩からかける大きなものでした(平野ノラのモノマネで出てきます)。
あと、DVDもないですし、音楽を記録するCD-Rも無かったです。全てはテープ。ビデオテープにカセットテープ。
駅前には黒板が置いてありそこに「先に行ってるね、佐藤」とか書いて連絡したものです。
とにかく待ち合わせが凄い大変だったと記憶します。
トレンディードラマの世界だった。
さて、ここまで書きましたが、男女の恋愛とかはどうだったのでしょうか?
これは簡単です。今は錆びてしまった、フジテレビの伝家の宝刀「月9」です。「月曜9時のフジテレビのドラマ」だったので”月9”です。
ここで、トレンディー俳優たちがバブルな恋愛模様を繰り広げておりました。キムタクが輝き出したのは、この枠ですね。
みんな、コンクリート打ちっ放しの部屋に住んで、冷蔵庫には瓶の(もしくはハイネケンとか外国の)ビールがぎっしり。みたいな感じです。
あと、漫画だと「課長・島耕作」が一番バブルです。当時の時代背景とかも書かれているので、漫画喫茶などで読んで見てはいかがでしょうか?
うつ病とか聞いたことなかった
みんなすげー働いていたと思うんですけれど、うつ病とかあんまり聞かなかったのですね。事実、そう言う人もいたと思うんですけれど…。
お金が沢山もらえたからお金をパーッと使ってストレスがたまりにくかったのかもしれません。
なので、昔の人は「俺たちの頃は残業100時間なんて当たり前だったぞ」って言うんですよね。それは時代であって、給料がそんなに貰えない現代に適用できるものではありませんね。無視しましょう。
おわりに
さて、思い出す限りのバブルを書いてみました。書きながら「あれもあったなぁ」「これもあったなぁ」なんて思い出しています。それらで強烈なエピソードは追記していこうと思います。
皆さんも、「こう言うのがあったよ!」ってのがあれば、コメント欄に書き込んでください。
あと、バブルを経験した世代は現在40代後半から50代のはずです。定年を60歳と考えるとあと10年、あと10年我慢すればバブル時代の世界観が終了します。早く現代の働き方を推奨する上司になると良いですね!
では!