酒が楽しみだった。仕事が終わったらお酒は飲まなければないものだと思っていたし、それで実際にストレスも発散していた。
でも、肝臓を壊し飲酒コントロールをして飲まなくても当たり前になった。
仕事はそつなくこなしていると思う。残業はしない。仕事上で残業によるストレスはなるべく溜めないようにしている。
たまにパチスロをするがそこまでのめり込まない。昔は仕事が終わったらスロット屋に行っていたがそれも15年前以上前の事だ。
最近はする事がなくなったら20時と言う早い時間でも布団に入る。
ギターを弾くけれど一人でやっているので高いモチベーションは無い。練習と自画自賛の作曲くらいだ。
週末は川崎までのウォーキングをしている。
ブログは思いついたら書く感じで特に義務化はしていないし、稼げるほどお金にはならない。
昔のように風俗にも行かずに、エロ動画をみる程度。
ここ数年ですごい人生が変わった気がする。
でも、充実している。
楽しい。
時折、「俺、こんな生活してて何が楽しいんだろう?」って思う事がある。
心の中で「今、充実しているならいいじゃ無いか?考えたら終わるぞ!」と思っている自分がいる。
ある日、それがわかったような気がする。
“生きてる事自体が楽しい”
のかもしれない。
仕事に直接関係ない数学の問題を証明する動画をYoutubeで見ながら勉強したりしている。それも楽しい「なんで卒業してまで勉強しなければいけないのだ!」なんて気持ちは全くわかない。
僕は勉強したいんだと思う。より知識を深めたいんだと思う。世の中のいろんなことを知りたいし、それを知ることで満足している。
変な表現かもしれないが、
“日々是勉強”
だと思っている。
ちなみに気になって「日々是勉強」で検索して見たら某知恵袋でこのような回答を見た。
別にこれだけが正しい生き方っツーわけでもなんでもないけど、こういう「自分自身の成長こそ人生の楽しみ」みたいな考えは結構好きっす。
人に与えられることをそんなに期待しないから、外的要因での不満はそれほど感じないと思うし、ほぼ完全に自分主体の人生じゃないっすか。そういう考え方って自分で自分の人生を面白くする方法のひとつだと思うから、全然ありっすね。
日々のできごとに刺激を感じてるってことだから、生きてるって事だとおもうっす。
書き方からして皮肉っているようにも思えるんだけれど、まさにこれが僕の本質をついていると思う。
他の意見も調べようと思ったけれど最初にヒットしたこの回答が全てあるような気がする。
「人は勉強するために生きているのだ!」なんて言う気は毛頭ない。たまたま僕がそのような生き方だったってだけだ。別に学校で習うようなことを勉強しているのでは無い。この世界を勉強しているのである。なので興味が無いものは一切勉強しない。
誰に教えられたんだろうか?両親の影響なのだろうか?
全くわからない。高校生あたりから「わからないことは調べる」と言う人生だったような気がする。
この世にて、学ぶ喜びを見出した人は幸福である。 アンデルセン
僕は幸福なんだな。
アンデルセンも言ってる。
そう考えると、僕が高校生の頃から本気で涙してない事が納得行くのかもしれない。
僕は他人の人生にさほど興味が無いのだろう、きっと。
僕は僕自身の事が一番大事だし、好きなんだろう。それで満足しているし生きていて楽しいんだな。
みんなそれぞれの生き方があると思うので、僕のように生きるべきだと言うつもりは毛頭無い(そもそも他人の人生に興味が無いのだから)
でも、日々辛い、なんで俺は生きているんだろう?何を楽しみに生きているんだろう?って思っている人は、それを”誰かのせい”にしないで、自分で道を見つけるのが大人の使命だと思う。
では。