高校時代からなんちゃってバンドをやってたんですけど作詞作曲は別のメンバーで当時キーボードを担当していた僕は曲調に合うようなキーボードアレンジをしておりました。
そして高校卒業時、バンドマンとして生きるのを諦めて僕はプログラマー(と言うかシステムエンジニア)の道へ入ります(大学進学は1ミリも考えてませんでした)
新人時代。高卒の僕に与えられた寮は二人部屋が基本でした。幸か不幸か仲は悪くなかったです。
僕がマックを買ったりやたらCDを買ってたりしましたが相方の(物理的な)領域には責めてなかったです。
楽器としてはKORGのシンセサイザーを一台。当時シンセにはスピーカーが着いている物は殆どなく別に買わないと音がでない。それも1台1万円で右と左で2台必要とかだったんです。
んで、それをマックに取り込ませる仕組みまでは作ってました。
今でこそ僕はギターメインですけれど、高校時代はキーボードをやっていたのでキーボードの方が思い通りのメロディーが出せたんですよ。音楽理論なんて全くわかってないんですけれど。
話は変わって……当時合コンってのが主流でして、同期の女の子経由でたくさん開いてもらいました。
んで、場所は大抵は八景島シーパラダイスでした。理由は簡単。僕たちの住んでいる寮から歩いて行けたんですよね。シーパラは出来たばっかりだったし。
その当時、僕らはシーパラで楽しんだ後、上大岡か新杉田の居酒屋を挟み横浜に行ってボーリングかカラオケってコースだったんですよ。
当時のカラオケは今は無きハマボウルの近くに密集しておりラブホ街も併設されておりました。実にうまい感じだったんですよね。そう言う合コンは大抵は土曜の深夜。
あの空気感、今でも思い出したりします。
さて、今回知り合った子はそう言うのには参加してませんでした。でも残業で帰る時間とその女の子がバイト終わって帰る時間(と乗る電車)が一緒だったんですよ。ストーカーとかと思われるかも知れませんが最初の数回は本当に偶然だったんです。毎日ほぼ終電まで仕事をしていた僕とその子が帰る時間と電車、車両が奇跡的に一緒だったんですよ。……なので変な意味で僕は残業時間を調整してその子と同じ電車に乗るように仕掛けていました。
でもストーカーではないんです。なぜなら横浜駅で京急に乗って(ほとんど座れたんですよね)ちゃんと話しながら帰ってたんですよ。
そう言う日々が続くにつれ、女の子から”1個下の彼氏がいたけど先に上京することになって別れた”と言うエピソードを聞く機会が増えるようになりました。彼女なりの牽制だったのでしょうか?
僕は聴き手に徹して彼女のエピソードを毎日聴いてました。
そんな日が続いてた週末金曜日。電車を降りてからの帰り道(駅としては僕の方が先に降ります)、そのエピソードを元にした曲が降ってきたんです。不思議にメロディーは一発で降ってきました。こう言う事あるんだなぁって。
寮に戻ってメロディーに合わせてキーボードを弾くまでは鼻歌でなんとか繋いでました(ボイスメモとか無い時代だったんですよ)
実に鍵盤を触ってから15分で全て出来たんですよ。曲が降ってくるとはこの事でしょう。コードもほぼ一発で合いました。
Aメロがカノン進行の曲。当時はカノン進行の理論も理解していなかったのに本当に自然にできたんですよね。
今考えてもあんなにメロディーとコードが一発で合った事は無いです。『曲が降ってくる』とはこの事だろうと今でも思います。当時はコードの手グセも無かったのですが自分でもびっくりです。
今でも曲としては古臭く無いと自負しているんですが歌詞は今聞くといささか古いですね。
BメロはGをメインとしてdimを挟んでAmに持って行きました。当時は気持ち良かったコードって感じでよく分からずに弾いていましたがdimというコード名を知ったのはのちの話。ここでは自然に出てきた意味不明のコードだった訳です。
サビはシンプルなコードでしたね。
歌詞はあくまでもあの子が主体。僕はこの歌には一切現れません。
毎日の一緒に乗る電車で元カレのエピソードはこれでもかと聞いてたので一気に吐き出しました。
なので、作詞作曲を合わせて15分と言う事になりました。曲を作るときには詞先、曲先ってのがあるんですが同時に作れるのはプロでも厳しい事だと聞きます。
自分で言うのもアレですがいい曲ができたと思いました。これをマックにぶち込んで譜面作成ソフトで譜面にもしました。
で、そのマックなのですが相部屋の友人がマックが欲しい!って事で譲る事にしました。
そのマシンにはぼくの曲が入ったままだったのですが、その知人は「え?これ誰の曲?プロの曲だよ!」と嬉しがってくれたのがなんか認められたような気がして。
インターネットで公開する術も無かった時代だったんで。
ちなみにその曲が完パケした後、会社のワープロで歌詞カードを作りテープ(テープってのが時代ですね)に完成版を録音しました。
そして、いつもの様に夜の23時に同じ電車に乗った時にその曲を聴かせました。歌詞カード込みで。
彼女は電車の中にも関わらず大泣きしました。作詞作曲家としては大成功です。
ただ、彼女が元カレを思っていると言う曲としては大成功でしたが僕の愛情は諦めるしかありませんでした。
この時です。
『作品のためには色々と犠牲にする事がある』と言うのを感じたのは。それと共に自分がシンガーソングライターになった瞬間ですね。
君のための曲をかいて、
それを聴いた君の感情が動く。
音楽ってそれで最高だと思います。
これからも色んな想いや人に対して曲を作っていこうと思います。
音楽楽しいよー!最初に作ったのは18歳位だけど44歳の今でも曲を作れるよ。まだまだ、音楽は楽しいよ!
44歳の今、あの時の曲を再度きちんと録音してSoundCloudにあげようと思います(デモ版はもう上げてます)
バンドやろうぜ!
チャオ!