最近はめっきり打つことが無くなってしまったパチンコ・パチスロですが、今でもYoutubeなどで遊戯している動画をみています。今の台は10万円位用意しないとスタートラインに立てないような機種ばっかりになっているみたいで、今は規制で最大のリターンは40万円を越えられないのにリスクの割にリターンが低いなぁ〜と感じています。
で、それらのYoutubeを見てて思うのが「最近の台は版権ありきだなぁ」と言う事です。版権というのは知的財産(IP=Intellectual Property)なのですが、簡単にいうと”漫画やアニメの原作(版権)を使った台”という意味です。
ちなみに鳥山明さんは自分の作品の版権でパチンコ・パチスロを作らせなかったと聞きます。(理由は諸説あるみたいです)
逆に、人気版権である”新世紀エヴァンゲリオン”はパチンコ・パチスロ版権で資金を得て次回作の製作費にしていたみたいです。パチンコで制作費を捻出して次回作を作りその次回作の素材で新しいパチンコを作る…と言うスパイラルですね。エヴァンゲリオン自体は完結してしまったのですが、パチンコ・パチスロ共にエヴァシリーズは一定のブランドとなっています(主にパチンコの方)
エヴァ世界の真のループ説
僕は自分が大好きな作品がパチンコ・パチスロになるのはあまり好きでは無いですね。エヴァに関しては変な感情になりますが、昨今のアニメ原作のパチンコ・パチスロ化に関してはファンとしてどう思っているのかな?なんて思ったりします。
なんか、「好きな版権だから打ち込みたい!」って言うのは違う気がして。ならグッズとかを買った方が良いと思うんですよね。
今のパチンコ・パチスロは凄い勢いでお金が無くなっていきますから、他の趣味と違ってリターンがある可能性がありますがリスクの方が大きすぎます。
あと、パチンコ、パチスロの演出に対して「原作なら絶対にこう言う行動は無い!」と点もあります。
期待させておいてハズレと言う流れはパチンコ・パチスロの特性上絶対に必要になってくるので「え?このキャラがこの敵に負けるの!?」みたいな演出が不可欠です。
あとは大当たり中に流れる楽曲で原作と同じものが流れたり選択できるみたいですが「そこまでしてその曲を聴きたいのか?」と思ったりもします。サブスクで聴けるし。「当たっている時にこの曲が流れるからいいんだよ!」という所なのでしょうがそれにかかる費用がエゲツない。
音楽については別管理の著作権が発生するのでYoutubeとかでは流せないものが多いので結果的に実際に打たないと体験できないと言う状況になっているのは「上手くできてるな」と思います。
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昔は版権を使ってパチンコ・パチスロを作ると言うこと事態が珍しかったです。
逆にメーカー自身が自分でキャラクター(ブランド)を作っていた気がしますね。パチンコ・パチスロオリジナル版権といえば、ドンちゃん、海物語のマリンちゃん、押忍!番長あたりが有名だと思います。本当の昔は7とブドウとかミカンとかスイカしかなかったんですし、それで十分面白かったんですよ。
規制がかかりすぎてゲーム性の方でオリジナリティーが出せなくなった結果なのでしょうか?……と思ったんですけど昔から機種によってそんなにゲーム性に違いなかったのを思い出しました。失敬。
数量限定とか希少価値がつくものが発売されると最近では転売ヤーと言う人たちがどこからともなく現れます。ネットではなくて先着順とかのアイテムだとバイトを使って行列に並ばせたりするそうなので個人というよりは組織的な団体がいくつかあるのでしょうね。
転売ヤーさんは入手してすぐに売りに出してその差額で儲けているのでそのアイテム自体には思い入れはないのだと思います。
基本的に転売ヤーさんは「お金はいくら出しても良いから入手したい」と言うお金持ちさんがいるので成立している商売だと思っています。お金、持っている人は持っていますからねぇ。
2024年に入ってから闇バイトがどんどんと露呈するようになってきました。Xとかで検索するとすぐに出てくるみたいです。恐ろしい…。
闇バイトは詐欺集団で、指南役、指示役、出し子、受け子と分業制になっているのも特徴です。
主にご高齢の方を狙った詐欺でして一番リスクが高いのが”出し子”、”受け子”と言う直接現金を手にする作業で警察に捕まるのもこの人たちです。闇バイトの組織の上の方からしたら100人詐欺にかけて30人位捕まろうとも、そんなの想定済だと思うのですが結果として30人の人生が一瞬で狂う事になってしまいます。
作業自体は簡単かもしれませんがリスクは非常に高いです。
闇バイトに応募する人って生活に困窮している人が多いと思うのですけれど、世の中、簡単な作業で一気に大金を得られる仕事などありません。そんな仕事があったらバイトを呼ばないで身内だけで回しますからね。捕まっても良いし接点がない人間を手に入れたいから闇バイトを募集するんですよ。
昔から「うまい話には訳がある」と言われていますからね。いつの時代もそうだったのでしょう。
さて最近ドラクエ3がリメイクされて発売されるようです。
「ドラクエ3懐かしいなぁー」と思うと共に”ある事”を思い出しました。
それは”ドラクエ狩り”です。
当時、ドラクエ3は日本のゲーマーとしては1秒でも早く遊びたい!と言うキラーコンテンツであり、発売日にはおもちゃ屋の前に長蛇の列が出来たのです。別にプレミアをつけるとかじゃなくて当時ドラクエ3はファミコンというゲーム機で動いており、カセットと言う物理的な媒体だったので一気に作る量に限界があったのです。
ネットがない時代なので今みたいに”ダウンロード版”とかがない時代ですが、数量限定とかではないので待てば確実に買えるゲームだったんですよね。
ドラクエ行列
結果、発売当時は欲しくても手に入れられない人が大量に出たのですが、街の不良とかは行列で無事に買えた人を恐喝してそのドラクエ3を奪うと言うカツアゲみたいな事が一部では行われていたみたいです。これは不良側も手に入れて誰かに売るのではなくて、「自分たちで遊びたい」と言う目的だったような気がします。腕力がものをいう時代…昭和ですな。
1990年代になるとその対象はバスケットシューズに変わり、当時もの凄く人気があったナイキのエアマックスが狙われました。これは「エアマックス狩り」と呼ばれ社会現象になっていたと思います。こちらは相当のプレミア値がついていたみたいなので、エアマックスを履いて街を歩いている人も狩りの対象となっていたはずです。当時の僕には『エアマックス=渋谷』と言う謎の固定イメージがあって「渋谷怖いなぁー。センター街治安悪いなー」と思っていたものです。
大人気!AIR MAX 95
… …海外の都市伝説で真偽の程は知りませんが海外旅行する時に腕時計にロレックスなどの高級時計をつけてちょっと治安の悪いところを歩いていると狩られると言うのがあったのですが、その手段として強奪時にロレックスを腕から外すのが面倒なので腕を切り落として腕ごと奪う場合があると言う恐ろしいものだったそうです。昔の都市伝説は陰謀論とかじゃなくてもっと物理的に怖かったですね。
現金時代からキャッシュレス時代に時代が移行しているように、物理的なものを奪うよりも形のないものでお金を奪う(=詐欺)に手段が変わっているように思うのですが、それに伴い捕まった時のリスクが飛躍的に上がっています。
特に闇バイトは末端の人を使い捨てにして組織の上にいる人にはほぼノーリスクと言うのは個人的には気分が良いものではないです。こういう変な集団は早く無くなってほしいものです。
闇バイトに関しては警察が「おとり捜査(警察官自身が闇バイトに応募して内情を掴んで一斉に関与者を逮捕する)」ができれば良いのですが、今の日本のルールでは警察はおとり捜査はやってはいけない事になっているそうです。
光があれば闇がある。
ある意味、必要悪である暴力団におとりでやって欲しい気持ちもあるんですけれどね……ただ、上層部の方で繋がっていて「それには手を出すな」と言われていたら終わりです。会社でも政治でも暴力団でも裏で動く”政治の世界”は怖いものがあります。
どうにかできないものですかね?とは言え闇バイト系は映画「地面師たち。」みたいにものすごい知能犯っぽくないと思うので消える時は一瞬だと思いますし、そう願いたいものです。
]]>バナナマンのラジオ(TBSラジオ:金曜JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD)を聴いていると定期的にグルメの話になることがあります。
グルメの話題はその時で様々なのですが話しているとかなりの確率で下北沢時代の話になるんですよ。多分2回や3回じゃないと思います。ただその話になっても「またあの話か…」とはならないんですよね。擦られたエピソードなのに毎回楽しく聴けます。
あと、バナナマンと僕は年齢がほぼ一緒なので「この歳になると若かった頃の懐かしい食べ物に回帰するんだよな」とついつい懐古してしまうんですよね。こればっかりはしょうがないです。歳をとるのも悪くはないものです。
バナナマンがこの話をすると設楽さんがほぼ確実に話すエピソードで「日村さんが『美味い穴子が食べられる屋を見つけた!』って言うからオークラ(作家)と行ってみたの。そしたら”大戸屋”だった。穴子フェア期間中だっただけ」と言うのがあります。
ネットとかが無い時代だったから自分の足で探して自分の舌を信じて美味しい店を見つけた時の喜びは今ではなかなか体験できないかもしれませんね。今だったら新しい場所に行く時ってネットでその土地の名店を検索しちゃいますよね。逆にその店目的で移動するとかですね。
大戸屋に関しては僕も荻窪駅の近くのお客様先で働いている時に「仕事終わりにビールが飲めて定食が食べられるいい店だな〜」と思いながら大戸屋をよく利用していました。確か当時の大戸屋の戦略は1Fには店舗を持たずに外から状況がわからないようにする。それによって女性が1人でも入りやすい状況ができる(あとテナント料が安くなる)ものだったと思います。
カプリチョーザとかも結構ラジオで出てきますね。こちらも有名なチェーン店です。
設楽さんは多分、下北沢時代にかなりの頻度でカプリチョーザと餃子の王将に行っていたはずです。昔アメトーークの『餃子の王将芸人』の企画で「音だけで何を作っているか当てる」というクイズがあったのですが、見事に設楽さんが”チューリップ”を当てていますからね。
僕は下北沢にはあまり行かなかったです。本多劇場やスズナリがあるので劇団の舞台を見に行ったのと北海道にあるスープカレー屋であるマジックスパイスが下北沢に出来た時に行ったくらいかもしれません。
なので、ラジオを聴いていても「あぁ、あの店か!」とならないのが残念です。同世代で僕も関東にいたので同じ店を体験する事はできたのですが…。
ちなみに当時の下北沢って”汚かった”んですよ。ゴミが路上に溢れているとかではなくて、キラキラした都会ではなくて、陰湿で混沌とした街だったような記憶があります。決してオシャレでもなく、かといってサラリーマンが通勤するような街ではなくて、売れないミュージシャンや劇団員が詰め込まれている街っていうイメージ(こう書いていますが別に貶している訳ではないです)でした。でも、なんかものすごい「売れてやる!」と言った謎の力が籠っているような街。
僕も家系ラーメンが今ほど有名になる前に偶然遭遇しており、その美味しさに驚愕した思い出があります。事前知識とか全くない状態で新しい味に出会えるのはものすごい興奮します。すぐに会社の人(主に一緒に飲む人)に教えてまわって「マジであの店美味しいな!」と喜びを共有してました。
コロナ禍で飲食店が大ダメージを受け結構な数のお店が閉店してしまったり個人で経営している店が年齢などを理由にお店を畳んでしまう事も多いので”懐かしのあの味”を味わえる機会はどんどん減っていくんですよね。悲しいけれど仕方がないです。
当時(下北沢時代)のバナナマンはまだTVでブレイクしておらずライブとバイトで生計を立てていたんですよね。
「お金はなかったんだけれどね、時間だけはあったなー」
成功者が昔を懐かしむ時の鉄板フレーズなんですけれど、やっぱりそうだよなぁ〜とラジオを聴きながら再認識してしまいました。
ちなみになぜか同世代のおぎやはぎさんは相当なグルメでTVでたまに見る笠原さんが経営する『賛否両論』と言う店に出来たばっかりの頃から行っていたり…とか色んなラーメン店を知っていたりとかギャップがあります。サラリーマン時代の蓄えがあったとは言えそこまで違うのか……と。
日村さんが「設楽さんと矢作さんが薦める店は絶対に美味しい!」と言っている位なのでやはり根底はバナナマン(設楽さん)もおぎやはぎさんもグルメなのでしょうね。
日村さんだけバカ舌傾向がありますが、そんな日村さんが今グルメ番組をやっているのですから……不思議なものです。
11月に入ったばかりの3連休の中日、久々に同期で会う事にした。目的は横浜みなとみらいにあるスーパー銭湯『万葉の湯(万葉倶楽部)』でだらだらする事。非常に緩い目的。
待ち合わせ時間は14時に現地集合。
夜に待ち合わせて飲みに行くと言うスタイルから、昼飲みでまったりと……と言う飲み方に同期との飲み方が変わったのは年齢のせいだろう。今回はスーパー銭湯なのでまずはゆっくりと身体を休めてから併設の食堂でまったり飲みましょうと言う形に。横浜は今回の参加メンバーとしてはすぐに帰れる場所なので塩梅が良い。
当日僕は予定が全く無かったため、早めに横浜に行く事に。とても天気が良いので横浜駅からダラダラとみなとみらいまで散歩する事にした。このコースは車道がほとんどなく緑もあり気持ちが良い。あと犬を散歩させている人が非常に多い。そうだった。元町やみなとみらい地区は犬を散歩させながらウィンドウショッピングするセレブ地帯であった。
そんな事を思いながら歩き進めると早々に目的地を発見。
ただ待ち合わせまでまだ2時間近くあるので、その時間まで付近を散策する事に。
みなとみらい地区なので海がある。
久々にスマホに触れずイヤホンも外してしばらく波の音を聞きながらゆらゆら動く海面を眺める。ときおり水上バスや屋形船が走っている。
「こう言う時間が欲しかったんだよ!」と言った感じ。街の喧騒から少し離れて海の音を聞く。波の音を聴け!と言った感じか。
その後、まだまだ時間があったのでさらに山下公園方面に歩いていくとハンマーヘッドと言う建物を発見。ふらっと中を覗いたらそこには『小樽ラーメン 初代』と言う看板が!
え?小樽!?
さて、小樽生まれの僕なのだが『初代』と言うラーメン屋はまったくの初耳。北海道ラーメンは大好きだけれども小樽でブランドになるようなラーメン屋は僕が小樽に住んでいた頃には無かったと思う。
勿論、当時も小樽には美味しいラーメン屋は沢山あったけれど所謂、”普通の北海道ラーメン屋さん”で「行列ができるラーメン屋!」みたいなのは無かったような気がする。小倉のラーメン屋はどこでも基本は豚骨ラーメンなのと同様、小樽のラーメン屋は基本北海道ラーメンなのである。
時間が良かったのか、場所が穴場なのかわからないけれど行列はできてないので食べてみる事に。今回食べたのは醤油ラーメン。1000円也。
表面に油を張り熱が冷めないようにした激アツでしょっぱいスープ、黄色い縮れ麺。うん、北海道ラーメンだ。
しっかりとした北海道ラーメン。その中でスープがかなり濃厚。匂いとしては少し苦手な人が居るかも知れない。
久々に舌を火傷しそうになるアツアツのラーメンを食べる事が出来た。満足度は非常に高い。
昨今、麺を啜る音が不快と言う”ヌーハラ”が騒がれており、最近では国民的女優が食べるうどんのCMでも苦情が来たらしい。世知辛い世の中。ただ、こういうラーメンは火傷上等でずるずる食べるのが美味しい。
良いビジュアル。
麺と具をすぐに平らげ、スープまで完飲しようかな?と思ったけれど流石に塩分が凄いスープ。富山ブラックは食べた事が無いけれど個人的にはそれに相当しそうなしょっぱい感じ。
でも、北海道ラーメンって基本しょっぱいイメージがあるから別に不思議では無い。ちゃんと残させてもらった。
ごちそうさま!
無事満足した後、喫煙所で煙草を吸いながらネットでこの店を調べてみた。
調べたところ、小樽での開業は1994年らしい。それでも創業30年か。ラーメン屋としては老舗に入る類だと思う。
ちなみに僕が上京したのは1993年なので実にニアミスであった。
『初代』は北海道以外ではこの横浜のホークヘッド店しかないらしい。探して行った店ではないのでかなりの奇跡に近い出会いであった。
また、小樽にはダウンタウンの浜田さんもリピートしたくなったと言われる『みかん』と言うラーメン屋があるみたいで、これは場所的には本当に子供の頃に良く歩いていた道。良く行っていた南小樽市場のすぐ近く。こちらは2005年創業らしく、有名な『すみれ』系列らしい。前に親と話した時に「あぁ、あそこね。なんかテレビで取り上げられたみたいで人気あるみたいだよ」と言っていたのを思い出す。
両店の店名の由来は、
『初代』:いつまでも初代のつもりで代が変わってもブランドに甘えずに味を守っていく
『みかん』:これはあくまでも”未完”であって日々味を追求していく
と言う意味らしい。
小樽は(僕は知らないけれど)あんかけ焼きそばで町興しを行っているみたいだけれど、こういうタフなラーメン屋が増えてくれた方がいいのになぁ〜。と思った。
その後、スーパー銭湯で露天風呂、足湯、岩盤浴を堪能し、食事処でお酒を飲みながら新人時代にお世話になった美味しかった店の話で盛り上がり18時にあっさりと解散。
いやー、健全であり大発見もした1日だった。
こういう日が年に数回あると人生は少し豊かになる。
そんな秋の好日だった。
]]>コンピューターシステムの業界ではサーバー管理といえばAWSやAzure、GCPなどクラウド全盛の時代ですね。
今やインフラエンジニアとしては仕事をそちらのサービスに奪われているのではないでしょうか?
SI業界でのクラウドの対義語は通称オンプレと言います。オンプレミス(on-premises)の略で自社環境に物理的にサーバーを置いて運用すると言う形態ですね。
サーバーは大量の処理をするケースが多いので物凄く電力を使います。電力を使うと熱が発生する為に冷却が必要になるんですよね。昨今、ゲーミングPCなどを自作されている方はこの熱対策に一苦労されているのではないでしょうか?
熱暴走なんて言葉があるくらいでマシンに大量の熱が生じるとありもしない挙動を起こしてしまいます。
その為、オンプレ運用している会社は”マシン室”と呼ばれるサーバーを置く部屋を別途用意するケースがほとんどだと思います。マシン室は常時一定温度を保つようにし、通称”フリーアクセス”と呼ばれる二重床構造で地面に這うケーブルを整理しています。
映画とかで企業のマシンルームにハッキングに入ったりする部屋、あのなんか縦長の機械ばかりの部屋、あれがサーバールーム(マシン室)です。意外に思われるかも知れませんが、コンソール(液晶モニタやキーボード)とかは通常のサーバーでは必要ないんですよ。コンソールが必要になるのは対人間の場合だけ、サーバーとサーバーの通信に関してはケーブルを繋げばデータを処理していくれるので不要となります。
リアルにこんな部屋。
ここでちょいと昔話を。
僕がまだ新人だったころ、福島のあるお客様のシステムを開発しておりました。当時のサーバーはUNIXサーバーと言うものでして今ではあまり使われていないかも知れませんが、macOSやLinuxの源流となるようなOSでした。
性能としては今でこそ家庭用パソコン以下かもしれませんが、当時は「それが無いと処理しきれない」と言う感じでした。当時のクライアントPCの性能は驚くほど低かったのです。
無事、システムは完成し僕は福島からまた関東に戻ってきて別件の仕事をしておりました。それからしばらく経ってからの事、「福島のシステム、サーバーがUNIXだけだと性能が出なくなった。汎用機にも対応させられるようにするぞ」とまた呼ばれました。
汎用機とは通称”ホストコンピューター”と呼ばれるもので、メインフレームとも呼ばれています。当初のコンピュータエンジニアはこのメインフレームをお客様にレンタルしてそのレンタル料で売上を賄っていました。ソフトは無料。僕たちは月額で億を稼いでくれるメインフレームを継続利用してもらうためにシステムを作っていたんです。今とは逆みたいな考えですね。
当時のラスボス、メインフレーム!
それほど当時のメインフレームは強かったらしいです。
僕が担当した頃のメインフレームのレンタル料は覚えてないんですけれど当時の営業が今の自社の営業のトップにまで登り詰めた事を考えると相当美味しい商売だったのかもしれません。
さて、また福島に呼ばれたのですが、今回はサーバー”変更”ではなくてサーバー”増設”と言う扱いをとる事にしたとの事。つまり従来のUNIXにもアクセスできて、今度新設するホストにもアクセスできる仕組みにしろ、と。
ホスト側のプログラムは僕は未経験だったのでほんの少ししか書けませんでしたが、クライアント側のプログラムは使い分けずに設定だけでUNIX、ホストを意識させずにアクセスする仕掛けを作るのは結構大変でした。
…とこう書くとタダの昔の自慢話になってしまうのですが、ここからは失敗の話。晴れてホストを導入する事が決まった時にお客様のマシン室ってもうぎゅうぎゅうだったんですよ。簡単に言うと”導入したい汎用機を置く場所が無い”状態。本末転倒とはこの事を言うのかも知れません。
そこで我々がとった方法は……「発電容量を考えるとどうしてもホストの方が電力を喰うからUNIXサーバーをマシン室の外に出してそこにホストをいれる!」と言うものでした。当時、そのシステム用に使っていたUNIXはAP/DBサーバー合わせて4台あったのでそれをマシン室から出すとちょうどホストが入る、と。「んな無茶な!」って感じですが、実際そうだったのだから仕方ありません。テトリスとかぷよぷよみたいにちょうどUNIXサーバーを外に出せばホストが置けたのですから。結果、不格好ではありますがマシン室の入り口のドアの横の壁に伝うように4台のUNIXサーバーを配置しました。僕がUNIXサーバーだとしたら相当な屈辱を味わう形になります。
今、自宅で普通にパソコンを使ったりノートパソコンを使われている方ってあんまり冷却って意識した事ないと思うんですよ。夏にスマホ使ってて「なんか異常に熱く無いか?」って思う事がある位だと思います。そう、夏……。
ある熱い夏の夜でした。いつものようにホスト対応にプログラムを修正していた時です。プロジェクトメンバーの誰かが「あれ?39番のサーバー生きてます?なんか繋がらなくなって…」と言いました。言い忘れましたが、プロジェクトルームとマシン室は結構距離が離れています。またUNIXサーバーは当時連番で下2桁が39,40,41,42番と呼ばれていました。
僕もさっそく確認してみます。ターミナルを立ち上げ39番サーバーに繋ぐ…確かに繋がりません。ただ40番〜42番は繋がりました。
「39番、ダメっぽいですね。ただ、40〜42番は繋がりました」と僕が言うと、先輩が「40番繋がらないよ」と。それに応じるように他の人が「さっきまで繋がっていたけれど41番、42番もダメだ…」と。
「39番から42番のサーバー、全台アクセスできません!!」
僕たちは一瞬焦りました。「いったいマシン室(の外の壁に置いたUNIXサーバー)で何が起こっているんだ……」と。
と言ってもゾンビ物のホラー映画では無いのでみんなで実際に行ってみる事に。
結果、一言で言うとマシンが異常な温度になったので強制的に落ちただけでした。通常、こういうサーバーはシステム内で温度管理がされており一定の温度を超えた場合、安全策として自分でシャットダウンを行うように作られています。勝手に電源が落ちるとデータが壊れるので「危ないから、そろそろ歯磨いて風呂入って寝ますわ」と言う行動を起こすように作られているのです。
ただ、今回は急激に温度が上がってしまいその猶予が無かったみたいです(それはそれで問題ですが)。39番から順番に死んでいったのは物理的に一番奥(部屋の隅で一番熱が篭るところ)から順番に死んでいったみたいです。一斉に全部死んだのならなんか分かるんですが1台ずつ落ちていく様に当時戦慄が走ったものです。
……ちなみに後日譚なのですが、とは言えマシン室は一杯ですぐに拡張できないため、UNIXサーバーが置いてある場所に応急プロジェクト部屋が作られ、扇風機と温度計が置かれる事になりました。ただ置いただけではまた同じような事が起こるのでそこに常勤するメンバー(1〜2名)を配置して仕事するという実にアナログな手法での対策。たまにその部屋に仕事で行くと「あちー」と言いながら団扇を仰ぐメンバーがいるのでした。
ちなみに、実話です。
僕はデータ流出とか大規模システム障害の件があるのでクラウドも程々にと思う古い考えですが、オンプレはオンプレでシステム運用以外に、物理的な問題もあったりするのですよと言うお話でした。
『こづかい万歳』の作者である吉川浩二さんのエッセイ漫画に『日本をゆっくり走ってみたよ』と言うものがあります。Kindle Unlimitedで無料で読めたので読んでみたんですよね。
1人で行動(旅行)して、その時々のエピソードを想いをよせている相手について語りかけるような感じのエッセイ漫画となってまして、読んでいて(かなり昔ですが)名波誠さんのパチスロ漫画(『パチスロひとり旅』)を思い出しました。名波さんは家を持たず借金を返す為に日本全国を車で移動。漫画の誌面を使って元カノに状況説明するような感じになってます。
「日本をゆっくり走ってみたよ」。この漫画は勝手に片思いをした人に勝手にプロポーズの条件(バイクで日本一周)を作って行動を起こし、その土地土地の状況を片思いの人に説明する感じになっています。かなり強引な感じが伺えます。ちなみにその人との恋愛経験は無し。
例えば学校や会社に居る異性で何回か話した事がある程度の人に恋愛感情を持つ感じですね。
その想いは古来より普通に“片想い“と言う名前が付いているので問題ないんですが、昨今の世の中だと度が過ぎるとストーカーみたいな感じになる危険性を孕んでますよね。
この物語も一歩間違えると『過度の思い込み』になる可能性もあります。
最初はその人の事を思って(?)風俗とかには行かないように(これまた勝手に)決めていたみたいですが途中からちょくちょく行くようになります。生理現象ですからしょうがないんですけれどこの部分ガサッとカットしても良かったのでは…?
また、(精神的に)強くなりたいと言うテーマがあるのですが結局強く言えずにその場その場で流される事も多数。この人は精神的に強くなれたんだろうか?日本一周しながら昔の仲間に会いに行っただけでは……そんな不安が過ります。
結局、ほぼホテルに泊まらずバイクで野宿すると言うサバイバルな部分は強調されてますが流されたりする場面も多数。でも、いままでいち漫画家だった人がこう言うチャレンジをするのです作者としてはネタの宝庫でしょう。特に野宿メインだったみたいなので主人公に対等に立ち向かう個性的なキャラも多数。それらのサブキャラは普通に読んでると「余計なお節介キャラ」感が否めませんが本人は至って良心でやっているし、それに結局翻弄される主人公……主人公の性格が良くわかる場面がちょくちょく出てきます。
精神的に強くなりたいけどモチベーションやきっかけが欲しい…そうだ!あの人に告白するのを目的にしよう!と言う感じなのだと思います。
ただ漫画を読んでいるだけだとお相手の方もこのチャレンジに期待していて無事成功した暁には(当たり前のように)告白成功!みたいに感じてしまうんですよね。結果は当たり前ですが残念なことになります。これってミスリードだったんですかね?
その後この漫画の主人公(作者)は無事に生涯の伴侶と出会う事になるので良かったのですけどそうじゃなかったら……と言う怖さも感じます。
日本一周の行動原理の目的の想像図がこれですし…。
先に書いたように“片想い“は大切で切ない気持ちですので素晴らしい経験なのですけど漫画家が実体験をベースにしたエッセイ漫画として発表するのはちょっと……と言う気持ちになりました。勿論、後書きを読むと漫画内で出てくる女性に許諾を取っている事と本人と特定出来ない表現にしてある事が明かされているので一安心。(さらにその女性としては吉川さんに全くその気が無かったことも分かります)
体験は実体験だけど登場人物は全員フィクションにすれば良かったのになー。などと思ってしまいました。
ライダー共通の”あるある”キャラが出てきているみたいですし。
僕も長い間片想いしてた時期ありますしそれをWeb日記に書いたりしてましたがちゃんと告白してちゃんとフラれたので新しい恋とかできましたからね。
でも、この人の漫画は嫌いじゃないんです。人を選ぶ絵柄なのですけど僕はこの人の“エッセイ漫画“ではないものは安心して読めるのですが“エッセイ漫画“になると作者の「気が弱いけど頑固(思い込み)な面」があるので少々読んでて別の意味でハラハラしてしまいます。でも、それがこの人の作風の醍醐味の一つなのかも知れませんね。
もし、興味があったら是非ご一読を!共感性羞恥に近いものを感じられるかも知れませんよ。
]]>深夜に目が醒める。まぁ、早い時間から眠りについているのだから多少早めに目が醒めてもしょうがない。そう言う年齢になった。こういう時にテレビをつけると何かしらの番組がやっている。子供の頃は深夜のテレビ番組帯ってのは無かった。『砂嵐』。停波中だ。
今は深い時間まで番組(深夜ならではのバラエティーやドラマ・アニメ)をやっており、そこから何かの再放送を挟んだりして通販番組へと流れるその後シームレスに朝のニュースへと繋がる。ずっとテレビを見ているといつの間にか朝シフトになる。
各局ともにこういう”ほぼ毎日24時間テレビ”状態になってからけっこう経つのでは無いだろうか?
僕が福島にいた頃は深夜に”テレコンワールド”と言う海外の胡散臭い通販番組がやっていてそれはそれでエンターテイメントとして楽しかった。
でも、今の日本の通販番組は観ていてあまりにも”引き”が無い。
どうせ、「お高いんでしょう?」と誰かが言い「えぇ!この価格で!」となり、「今なら」と言う後押し。最早古典芸能。ラジオでも同じような事をやっているので一定数の需要はあるのだろうが観ていて嫌気が差す事もまばら。わざとらしい大きな芸は仕方がないのだろうけれど胸焼けしてしまう。それも歳をとったせいか。
この前、同じように深夜に起床した。翌日は休日だったので「寝なきゃ!」と言う焦燥感に襲われる事も無い。
「なら、起きてやるか」みたいな気分になりテレビをつけてチャンネルをザッピングしてみる。
すると、なんか海外映画がやっていた。チャンネルはテレビ東京。
大抵こういうのはテレ東のお約束だ。一発で分かる。
不思議にテレ東のそう言う映画枠は人を不快な気分にさせない。「どうせお約束の…」みたいな感じにさせない。その為、得るものも少ない。この塩梅が”テレ東クオリティー”なのだ。これは褒め言葉。あとサメ映画も多い。
その時、点けた映画をなんとなく見ていた。時間にして1分位だろうか?
1970年代位のB級コメディーみたいな感じだが笑わせようというギャグは一切入っていない。
「なんだ?この映画」と思うのだが不思議とチャンネルを変える気がしない。ただ真剣に観るのでは無くてダラダラ点けっぱなしにしておいても良いのではないか?と思わせてくれる感じであった。
映画の中の適当な時間からかいつまんだ1分間で客を付ける(チャンネルを変えないようにさせる)。
簡単に聞こえるかも知れないが多チャンネルの現代ではそれは非常に難しいと思う。
でも僕はそのまま最後まで観てしまった。
最初は作品のタイトルすら分からなかったがCMに入るタイミングでタイトルが出た。『ライフ・アクアティック』と言うらしい。なんとなくこの作品はメモって後で調べないといけないような気がした。
映画をながら見していくと、途中からわざとダサい演出(めちゃくちゃな演出)をしている事がわかった。
船上がメインの映画なのだが船上の複雑な構造(今、船の中のどこにいるのか?)を視聴者に意識させない為に船を『横割り』で表示してそのまま映画は進んでいく。昔のファミコンのゲームをやっているような感じである。
結局、最後の方ではのめり込んで観てしまった。
ネタバレになるのかもしれないがヘリが海面に墜落するシーンがあり、そこの演出がとても印象に残ってる。
ちょっと具体的に書くとヘリが海面に墜落すると同時にカメラは海中に切り替わる。そこで”真っ赤”な画面がサブリミナルのように映り、また海中の画面へ。そしてその後同じように”真っ白”な画面がサブリミナルのように入る。
その後海面へとカメラは切り替わるのだが、カメラのレンズに血が流れていたり海水が真っ赤になっていくのを匂わせている場面がある。なんか「死ってこんな感じであっけないんだな」と言う感じ。
そう、テレ東のB級映画って風邪をひいて家で熱にうなされてるときに見る夢の感じに似てるんだよな。
映画館で構えて観る映画もよいけれど、過去の作品を家でダラダラ観るのは歳をとってからは実に有意義な過ごし方だと思う。
昔、この街に来てから出来た知人が僕の家で昼飲みする時に「DVDレンタルの返却がギリギリだから飲みながら観よう」と持ってきた映画達を思い出した。
邦画のこってりとした恋愛映画でもない限り、見始めたら「観れちゃう」のだ。さすが映画。勿論倍速再生などはしない。しっかりと”間”を味わって楽しむ。
ちなみにこの作品の監督はウェス・アンダーソンと言う人でシンメトリー(左右対称)な映像が特徴らしい。『ライフ・アクアティック』ではシンメトリーな感覚はあまり感じなかったが他の作品も見てみたくなった。
なんか、なんとなく観た作品が当たりだった時ってとても嬉しい。こういうのは映画とか小説とかカルチャーの特徴なのかな?と思う。
最後に、この映画のあらすじを。
「川口浩探検隊みたいに、探検(本作では海洋探検)を行う模様をドキュメンタリー(半分フィクション)で撮影するのを生業としていた超自分勝手でワガママな主人公が、過去に実際に友人を食べてしまった幻のサメ(!)を探しに資金調達して再び船に乗り撮影に臨む」
これだけ読むと「凄く興味がある!」とはならないと思うが、確かにテレ東らしく”サメ映画”と言えばサメ映画なんだよなぁ〜。そういう所か……と思った次第である。
]]>“ドタキャン”と言う言葉って今でも通用するのでしょうか?「土壇場(直前)でキャンセル」の略語で”ドタキャン”。
予定がキャンセルされるってのは公私共にけっこうあると思うんですよ。来週とか来月とかそう言うレベルの予定の話です。
でも、明日の予定やもっと言えば今日の夜の仕事終わりの予定がキャンセルになると悲しいですよね。
例えばデートだったり飲み会だったり嬉しい予定の時は結構ダメージでかいです。「その為に頑張ってたのに…」みたいな感じになったりします。
また土日の予定が金曜日にキャンセルになったりすると「もっと早く言ってよー。キャンセルって分かってれば折角の週末だから別の予定立てれたのに…」と言う気分ですね。キャンセルする側に悪意はなかったとしても一時的とは言え嫌いになってしまいます。
僕の同期にその極みみたいなヤツがいまして、この歳になっても年に何回か土日に飲んだりするのですが、まー自分で予定を立てておいて当日10分前にキャンセルとかしてきます。これに関しては他の同期も「まぁ、あいつだからな」と言う一言で済んでしまう関係性となっております。店を予約している訳では無いのでキャンセル料はかかりませんし…こればっかりは30年も仕事をしていれば嫌悪感も湧かないですね。逆にきっかけを作ってくれてありがとうって感じです。
さて、このドタキャン。基本的に気分がマイナスになる方向に使われますが、「嬉しいドタキャン」ってあるのでしょうか?
この前バナナマンのラジオを聴いていたのですが設楽さんが「急に仕事がキャンセルになってぽっかりと半日時間が出来ちゃった」と言っていました。続けて「これ、結果的に”半日時間が出来た”って事に変わりは無いんだけど最初からわかっていた半日の時間と、仕事だったのがキャンセルになって急に出来た半日の時間ってなんか気分が違うんだよね」と。
それを聴いていて確かに!と頷いてしまいました。
基本的にサラリーマンは定時間内はお仕事です。定時以降は残業、土日出勤も場合によって発生すると思います。
この残業や休日出勤って自分の仕事が遅れているからそれを取り戻す為に行わないといけないというのが基本だと思うんですが、場合によってはプロジェクト全体として仕事が遅れていたりするとマネージャーが「定時後に対策会議するぞ!」とか「土曜日にみんなで集まって課題棚卸しだ!」みたいにチーム全体(特にリーダー層)に対して会議を入れたりします。
プロジェクト規模が大きくなると幹部からの招集となったりして更に深みを増します。
自分のチームの作業は予定通り進んでいたとしてもプロジェクト全体が遅れていたら基本的に呼ばれます。下手すると「お前のチームは予定通りだから他のチームの遅延を巻き取ってくれ」と仕事が増えたりするケースもあるので「俺のチームは進捗通りで課題もないから出ません」と言うのは結構リスキーだったりします。
例えば、”来週の月曜日にお客様に対して今ある課題の状況を幹部が報告する”みたいなイベントが入っていると土日はほぼ潰れる事が確定みたいな雰囲気になります。うちの会社側に非が無いとしても「ではどういう言い方をすれば相手に非を認めさせられるか?」みたいな感じの会議になる事は多いので、決して楽しく進む会議と言う感じでは無いです。
金曜日の夕方あたりに「あぁ、今週は土日が会議で決定だもんな、リモートじゃなくて出勤して対面会議って言われてるし」みたいな気分の時に営業から「お客様側のマネージャのスケジュールが変わったので報告が1週間後ろにリスケの方向になりました!また、今回の課題の整理状況に対する温度感も大分違っていてそこまできっちり報告しなくてもよいみたいです!」みたいな情報が入ってきたとします。
それに対して、マネージャーから「土日の会議は一旦中断しよう。今はゆっくりと休んで」みたいな感じで連絡が来たとしましょう。
そう、休日の仕事に対するドタキャンが入ったのです。
ここにすっぽりと空白が出来たら嬉しい!
もうすぐ金曜も定時になって仕事も終わる…さっきまで憂鬱な土日が一気にスッポリと空く訳です。恋人や家族にも「その日は仕事だから」と言っていた土日が自分の物に!
これが”嬉しいドタキャン”だと思います。
この構造って嫌なドタキャンと構造は一緒なんです。
「もっと早く言ってよー。キャンセルって分かってれば折角の週末だから別の予定立てれたのに…」
でも、嬉しいドタキャンの場合は「いやーすっぽり時間が出来ましたわ。恋人や家族にも仕事って言っているので自分1人で行動しても怒られない。これは楽しくなってきましたな!」みたいな雰囲気になるんですよ。
結論として楽しいイベントはドタキャンして欲しくないけれど、嫌なイベントはドタキャン大歓迎!って感じなのでしょうが人間ってのはなかなか楽しい性格が根底に組み込まれているんですね。
不思議ー。
]]>『昼のセント酒』と言う漫画がある。
原作者は『孤独のグルメ』と同じく久住さん。ただ作画は別の人なのでイメージはがらっと変わる。原作者(久住さん)ファンで無い限り読み比べても「全然別の漫画」と言う印象を受けると思う。まぁ実際別の漫画なのだが。
この漫画は1話完結型で、フォーマットは「主人公は営業マン。営業先の地域の近くの銭湯に仕事をさぼってお昼から入り気持ちよくなったところで酒を飲む。(そして上司から「今すぐ帰ってこい!」と怒られる)」と言うもの。『孤独のグルメ』同様にテレビ東京でドラマ化されていたのだが、こちらは”グルメ”では無くて”昼風呂+お酒とおつまみ”にステータスを振っているので心地よい。
“仕事中に会社を抜け出して銭湯に入って酒を飲む”。普通のサラリーマンでは出来ないパンクな行動。漫画だから許されるシチュエーションが現実と非現実の境目に相まってて良い。
体験してもらうと分かると思うが、昼風呂。お昼の銭湯の解放感と言えば最高だ。
できればあまり混んでなくて空が見えると尚良い。
銭湯は広い浴槽と言うのも解放感の要因の一つだが、”日光が入ってくる”と言うのが僕は一番大きいと思っている。なので曇りや雨の日の昼風呂は気持ちよさに少し欠ける。
最近身体が疲れており、休日のルーティーンである川崎のぶらぶら散歩をしている時に「”カプセルホテルの銭湯だけ利用”でもしようかな?」と思うのだが川崎の有名なカプセルホテルの大浴場は残念ながら地下にある。気持ちよいには気持ちよいのだが何か閉塞感を感じるのも確か。元々このカプセルホテルは川崎で痛飲した後に良く利用していたのでそれも思い出してしまいいまいち解放感を感じる事が出来ないので、結局スキップしてしまっている。
これまた良く行っていた大森のカプセルホテルは屋上が浴場になっていたので二日酔いを醒ます為に朝風呂に入っていた時はとても気持ちよかった思い出があるが、今は職場が大森にないので自然な流れで行く事は無いと思う。どうしても「それならばもっと別の銭湯に行った方が良いよね」となってしまう。
ただ、その別のカプセルホテルやスーパー銭湯を探す努力を放棄している自分には猛省である。惰性は怠惰なのでなんとかしないといけない。
40代、50代の独身男性の休日の過ごし方のランキングには『スーパー銭湯』と言う項目が上位に入る事が多い。歳をとると無限に眠れていた若かりし頃の体力は無くなり早起きしてしまう。部屋にいても仕方がないので外出。ギャンブルはお金がかかるのでスーパー銭湯でダラダラ過す。…わかる。わかってしまう自分もアレなのである。
ここ(休日・祝日)をいかに楽しめるか?が教養なんだと思う。最近読んでいる漫画を見るとそれを痛感する。
鉄オタは世間から嫌悪される傾向にあるが、その中の”乗り鉄”というのは「電車に乗って移動するのが楽しい」と言う趣味なのでちゃんと売上にも貢献しているしコレに関しては素晴らしいと思う。休日や祝日は普段と違う場所へと移動して非日常を味わうのが良いと思っている。電車移動は途中でお酒を入れても良いので素晴らしい。
心身が疲れている時…そしてこのネット社会とSNS。ネガティブな時はネガティブを呼ぶ。そういう時には自然が観たくなったりお風呂に入りたくなったりする。自然の道理なのだと思う。”風呂は心の洗濯”。デジタルデトックスに必要なピースなのだ。そうするとネガティブな思考が嘘のように消える事があるので、人生ってのは悲観ばかりでは無いんだなと思う。
そう考えるとコロナ禍の閉塞的な雰囲気の時にキャンプがブームになったのも分かる気がする。
ちなみに酒好きの僕ではあるがこの昼風呂においての「風呂上がりのビール」は必須では無くても良い。1人なら尚更。
今住んでいる物件は非常に満足しているのだがお風呂に窓がない。次に引っ越す事があれば窓付きのお風呂がある物件が良いな。日光を入れながらスマホでラジオでも流して休日のお昼に長風呂したいものだ。
]]>最近、ネットなどで芸能人や著名人の発言に対して「炎上」と言う使われ方がします。無名(素人?)の場合は昔で言うバカッター。一発ネタを狙って投稿してしまった結果バイトテロになってしまった!とかですね。
実際に放火して物理的に炎上させるのは犯罪ですし、バイトテロとかは勤務先の企業イメージに繋がるのでこれも犯罪や損害賠償の対象になると思います。
ただしネットの記事とかにある「有名芸人、xxxに対しての持論を発言。ネットで炎上!」とかはライターが勝手に『炎上』と言う文字を付けて購読欲をそそるだけであり実際には炎上していなかったりします。でもその記事を観た人が「けしからん!」とこれまた持論をSNSなどに投稿する事によって他の人の目にも留まるようになり「炎上」状態になる事はあるかもしれません。これはバンドワゴン効果と呼ばれるモノだと思います。
ネットの切り取り記事とこのバンドワゴン効果は相性が良いのかも知れませんね。ソースを調べずに「みんなが言っているから」と言った感じでいっちょかみする奴です。
あと、こう言う記事には“業界関係者“がやたら登場するのも特徴です。具体的な名前はわかりませんし存在すら怪しいです。「『週刊実話』だから実話なんだよ」位のイメージですね。
ラジオでおぎやはぎさんが結構言っているのが”前髪理論”と言うもので、「実際はね、炎上なんてしてないんだよ。前髪と一緒で自分としては『ちょっと切りすぎたかな?』とか気になるかも知れないけれど周りの人からみてみたら全然気にならないの。そう言うのを気にしすぎだと思う」と発言してます。この場合、こたつ記者が殺気立ちながらラジオを聞き、テレビを見て「むむ!けしからん発言!これは記事にせねば!」と思って”炎上”とか冠を付けて記事にしている感じでしょうか?血圧が高いのか余程実生活が上手く行っていないのでしょうかね?って感じでしょうか?
実際におぎやはぎ矢作さんは過去にテレビ東京系のドラマ”SICKS”で、『バズりたい病』にかかった”見出しの達人・時村”を演じており「見出しにこういう文字入れておけばバズるんだよ。嘘は書いてないし」と言う役を演じているので何か思いがあるのかも知れません。
他にも僕は動画とかのタイトルに気軽に”神回”と付けまくるのもあまり良くないのではないのかな?って思います。
消防署は必要ですし消防士も大事なお仕事です。
消防車やはしご車など車両にもお金がかかります。でも火災が起きないのが一番なんですよ。
でも最近はマッチポンプではないですが、ネット上で気軽に着火・炎上させて素人の”自称”消防士が誤った消火活動をしているような気がします。まさに”火に油を注ぐ”みたいな。
確かに「嫌なら観るな」と言う訳には行かないと思いますが自分が不快に思った事を拡散させるのも如何なものかな?…と。もし、その結果で実被害が出た場合に発信者が「そんなつもりじゃなかった」ではそれこそ通用しないと思います。これは僕自身も気をつけないとなと思ってますし、なんか空気感が閉塞的と言うか息詰る感覚がここ数年続いているような気がしますのでそう言う時こそ慎重にならないといけないな、と。
「はは、バカ言ってら」とか軽く笑い飛ばせるようなレベルの話は「勉強しないとこういう大人になるんだぞ」って感じで親子で話せる世の中がいいですね。
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