僕は人生を案外うまく渡り歩いているつもりだ。いじめられる事もなくいじめる事もなく。平々凡々の中のちょいと上を生きてきた。会社に入って上司にモラハラを受けて心を壊してから出世と言うものからは外れたが、別に出世欲がある方ではないし、それよりも自分の技術が衰える方が怖かった。
おそらく、あの時モラハラ上司に当たっていなかったら僕はスピード出世をして管理職として数字だけを追いかける人生を送っていたのかもしれない。
そう考えると今でも技術では負けていない自負はあるし、アンテナも張っている。ただ欲しいのはあと少しのサラリーだ。
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さて、僕は”泣く”と言う感情がない。感情を失ったのだ。もちろん悲しい時は悲しいし、感動した時は素直に感動する。でも、そこに “涙”は無い。正確に言うと上京してから号泣した事がないのだ。
なぜ、僕が感情を失ったか。それには少し恥ずかしい自分の過去を明かさねばならない。今回はそれについて書いてみようと思う。
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僕はもともと内向的な性格で、どちらかと言うと人見知りの性格だった。今の僕を知る人からは考えられないくらい人見知りだった。
高校に入り内向的な性格はそのままだった。なので特に高校生活に期待はしていなかった。同じ高校の違う学科に幼稚園の頃から仲が良かった友達がいるので最悪その友達とだけ話していれば良いか、と言う感じだった。
でも違った。そんな内向的な僕を「面白い」と思って拾ってくれた友人がいた。その友人のおかげで高校生活に居場所が出来た。そして今の若者では経験できないようないろんな事を経験できる事が出来た。
でも、まだ内向的な性格は完全には治っていなかった。そんな僕がその友人に誘われてバイトを始めた。時給は450円。賄い付き。岡持ちを使った街の定食屋の出前のバイトだ。
定食屋の出前というのは実に面白かった。近くに雀荘と病院があったのも良かったのかもしれない。病院に出前を持っていくこともあったし、雀荘に出前を持っていくこともあった。ちょっと離れた場所に産婦人科があったので、出産直前で立ち合いにきた男性のもとに出前を持っていく事もたまにはあった。
様々な人間模様がそこにはあった。独り身の老人もいた。そこで僕は社会に出ても大丈夫な社交性を身につける事になる。本当に経験して良かった。きっとそういう経験をしていなくて内向的な性格のままなら、僕は上京後すぐに夢破れて今頃実家でニートをしていただろう。そう考えると恐ろしくもある。人生にifは無いのが幸いだ。
さて、給料日。僕はいつものように歩いて帰っていた。バスを使っても良かったけれど歩いても20分程度。空気がきれいな夏の夜だったので僕はそのまま歩いて帰る事にした。
そこでカツアゲにあった。周りに人がいないのを確認して4〜5人の人間に囲まれた。おそらく年齢は僕より下だ。
道路を挟んで左斜め前に交番があったのに大胆な犯行だった。
僕は喧嘩をした事がなかったので戦うことはやめてすぐに財布を差し出す事にした。普通にカツアゲにあったのならまぁ、「これも人生だな」でやり過ごせたのかもしれないが、給料日にカツアゲにあったのだ。たかが1万数千円かもしれないが、僕にとっては汗をかいて稼いだお金だった。
それをそのまま全部持っていかれた。
すごく長い時間に感じたが、時間にして数分だろう。きっと僕を狙っていた訳ではなく、定期的にあの場所でカツアゲをしていたんだろうと思う。僕はそこまで他人に恨みを持たれるほどの存在感はなかったからだ。
家に帰って、凄い泣いた。枕に顔を埋め嗚咽が漏れないように泣いた。
なんで僕が?それも給料日に?と。
お金をカツアゲされたことの金額的な悲しみよりも、自分が苦労して稼いだお金を暴力で奪おうという理不尽さと、自分の不甲斐なさに泣いた。
そして、その日はそのまま寝た。
次の日から、僕は”泣く”という感情を捨てた。世の中には理不尽な事に溢れている。きっと社会に出たらこれ以上の理不尽が沢山あるだろう。いちいち泣いている時間は俺には無い。きっとそういうスイッチが働いたのだと思う。
その経験があってからか、僕は”ある程度”の理不尽には耐えられるようになっていたし、ただ暴力でお金を奪い取ろうとしている人を心から蔑んだ。「君たちの生き方は実に貧しい」そう思えるようになった。
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…45歳になった。あれから四半世紀以上経った。
今でも目が潤むことはお酒が入った時とかにたまにあるが涙が頬を流れる事は無い。
自分で自分に言い聞かせる「もう、泣いていいんだぞ」と。
しかし僕はもう泣けないのだ。
…いつか、何かがきっかけで僕はきっと”涙”を取り戻すと思う。きっとそれは今まで溜め込んでいた感情が再度動き出すと言う意味を指すのだろう。
僕は実はその時をひっそりと待っていたりする。
だから、安易な「お涙頂戴」の番組では泣かない。僕にとっての”涙”はもっともっと特別なものだからだ。いつまでも穿って生きていくのかもしれない。
でも、きっとその時はくるだろう。
僕はそれを楽しみに今日を過ごしている。