はじめに
2020年末、M-1を見ました。まぁリアルタイムじゃなくて録画して翌日にみたのですけれどね、まぁ優勝者を知ってから見るってのも面白味が欠けるかも知れませんけれど、まぁ、お笑いは元気にさせてくれます。
今回は本当にオープニングPVがカッコ良かったです。2020年は新型コロナの関係もあり、普段マスクをして行動する時代になりました。オープニングPVではね、芸人が自分の出番になり”マスクを取って本戦を迎える”って感じの場面がたくさん使われてて本当になんか感動してしまいました。
さて、マヂカルラブリーの優勝について「あれは漫才なのか?コントなのか?」って言う議論にもなったそうで、まぁ僕はコントのように設定の衣装をせずにセンターマイク(サンパチマイク)1本でやれば全部漫才だと思っているので、良かったなんじゃ無いかな?感じです。
令和の”おぎやはぎ”こと”オズワルド”!
そんななか、僕が「おぉ!」と思ったお笑い芸人がいました。名前を”オズワルド”と言います。関東の抑揚がつかない雰囲気の漫才でしてね、強いツッコミをしないお笑い。見た瞬間に「あ、おぎやはぎだ」と思ったものです。
やはり、関東の漫才の血なのか?オズワルド自身「おぎやはぎとポイズンガールズバンドは死ぬほど研究した」と言っております。
Twitterで見ても、”令和のおぎやはぎ”なんて言われておりました。言い得て妙だと思っております。
その後におぎやはぎのラジオを聴いてましてね「オズワルドは僕たち(おぎやはぎ)に似てるけれど、声を大きくしちゃった。声を張れば笑いは取れるけれど個性が消えるんだよ。んで『あれ?もしかして優勝狙ってる?』って思っちゃった」と言っておりました。これ、実に深いんですけれどここでは大きく触れないことにします。
さて、(関東の笑いの雰囲気含めて)おぎやはぎイズムが引き継がれている事にひとまず安心しましてね。
オズワルド
みんなおぎやはぎを研究していた
おぎやはぎといえば僕が一番好きな芸人であります。
M-1第1回(2001)、第2回(2002)のファイナリストでしてね、実力はあるんですよ。ただ本人達にやる気がないだけで(笑)
Wボケの笑い飯さんも当時尖ってましたけれど哲夫さんは「他の芸人では笑わないスタンスだけれども、おぎやはぎだけは笑ってしまった。そこからおぎやはぎを研究してWボケスタイルを作った」とそうです。
もちろん、オズワルドもかなりおぎやはぎを研究しており、「おぎやはぎになりすぎないように自分たちの味を出す」ために苦戦していたそうです。結果的に「おぎやはぎの皮を被ったブラマヨ」と言うような表現もされているそうです。
今のおぎやはぎってお昼のワイドショーにも出てて一般の人にとっては「口が悪いなぁ」「何様のつもりだ」的な思いを持っていると思いますけれど、確実にお笑い界に爪痕を残していたわけです。
決してM-1の優勝はできないけれど確実に”新しい漫才”を作ったおぎやはぎ。それでいて飄々と過ごす。だから僕は好きなのかも知れません。
おぎやはぎ
立川談志が認めたおぎやはぎ
さて、M-1の審査員に故・立川談志さんが出た時(2002年)におぎやはぎさんがファイナリストでしてね、その総評が「リーガル千太・万吉さんを彷彿とさせる。漫才を続けなさい」みたいな事を言っておりましてね、おぎやはぎさんは”リーガル千太・万吉”を知る由もなく、しれーっと進んで行ったんみたいなんですけれど。
で、リーガル千太・万吉さんってのをちょいと調べてみたんですけれど東京漫才の殿堂に入っているそうです。
どうにも”東京漫才の元祖”とも言われているそうで、異論はあるみたいですけれど、「東京で”漫才だけで”食えるようになっていった芸人」の祖っぽいですね。まぁ、リーガル千太・万吉さんをどんどん調べていくと、エンタツアチャコや、「”萬歳”から”万才”、そして”漫才”へ」と言う歴史を紐解かないといけないみたいです。
これはかなり長くなりそうですので、もしこれについて書くなら、論文としてきちんと書こうと思います。
リーガル千太・万吉
終わりに
立川談志さんは良くも悪くも天才でした。その立川談志さんが絶賛したのがリーガル千太・万吉さんだそうです。
そして、M-1でのおぎやはぎ。
この2組はミッシングリンクとしか言いようがありませんが、”東京の笑い”ですね、それが引き継がれて令和の時代にもオズワルドなどに遺伝子が引き継がれていて、「なんかいいなぁ」って思いました。
ちなみにオズワルド、北海道出身と千葉出身だそうです。「北海道ってのは東の笑い」なんだなぁとなんとなく思ったりする僕がいます。(僕自身が北海道出身で東の笑いが好きなので…)
オチは無しよ、ギャフン。