日本の作曲家、筒美京平さんが2020年10月7日にその生涯を閉じました。『作曲 筒美京平』で調べると出てくると思いますが、40年くらいにわたり色々なヒット曲を作った人であり、噂では「筒美京平は合同ペンネームであり、複数の作家から成り立っていた」なんて言われるほどです。
自分のバンドとして40年続ける事は売り上げにこだわらなければできると思いますけれど、40年以上にわたりヒットメーカーとして曲を作るってのはすごい事だと思います。
音楽にも流行があり「あの年代の曲は古いよね」と言われる事も少なくありません。
でも、1968年に”ブルー・ライト・ヨコハマ”を作って、その35年後の2003年、TOKIOに”AMBITIOUS JAPAN!”を作れるってのは本当にすごいと思うんです。曲調がその時代にあってるんですよ。
例に出すのはいかがなものかな?と思ったのですけれど、日本では1960年代に不良の集まりからできたCOOLSってバンドがいましたが今(2020年代)では一部のメンバーで『過去の曲に頼ってる』バンドになってしまってる感じがしました。
もちろん、同世代を生きた人としては「ああ、懐かしい。これが僕の、私の青春!」って思う事は大事です。
でも、それは思い出のサルベージでしかないんですよね。”今”ではない。
筒美京平さんは思い出ではなくて『その時代に合う』曲をどんどんと提供してくれていたと思います。
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ちょっと話はズレますが僕の生きがいであるラジオ(僕の聴いている番組)のハガキ職人にもレジェンドは存在します。たくさんのラジオ職人はいますが飛び抜けているのが『RNさんぺい』さんです。
10年以上(明確なソースは見つけられませんでした)、底辺の生活をしながら(本当かどうかは分かりませんが)、それを下ネタとして、そしてどこかに愛のあるメールを送る。RNさんぺい。
人間は10年あれば変わるものです。でも、RNさんぺいは全く変わらない。
そしてメールの常に質も高い。
筒美京平さんが連名であったと言う噂と一緒で、さんぺいさんも複数の職人の連名の名前なのでは?…と思うのは僕だけでしょうか?
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話を戻して、
筒美京平さんは噂のレベルですが、実際に連名であった作曲家もおり、例えば杉岡弦徳さんと言う名前は、杉本眞人・岡千秋・弦哲也・徳久広司さんからなる人達の合同ペンネームだったそうです。
まぁ、筒美京平さんも、80歳で亡くなっている為、合同ペンネームだったしても『筒美京平プロジェクト』は幕を閉じた事になります。
さて、落語や講談、歌舞伎などは、同じ名前を襲名して長く続けるという制度になってますよね。なので、”2代目筒美京平”とかそういう襲名制度を使っても面白いと思いますね。
お笑い好きの僕としては、演劇における戯曲のように漫才やコントのネタを引き継いで(襲名して)いき、古典にしてずっと受け継がれていってほしいなぁ〜なんて思っています。
タイトルとオチが全然変わってしまい申し訳ありませんでした。では。