特番ですがクレイジージャーニーが復活するそうです。クレイジージャーニーはファンが多かったので喜んでいる人も多いのでは無かったのでは無いでしょうか?
参考
「クレイジージャーニー」特番で復活 不祥事での終了から異例の再開 松本人志「結果良ければすべて良し」(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース
クレイジージャーニーはやらせが見つかって2019年の8月に放送終了(打ち切り)を食らっています。
このヤラセ(不適切な演出?)に関して「失望した」「結局ヤラせか…」と言う意見も多かったのでは無いでしょうか?
でもよく考えて欲しいんですよね。
世の中の”クレイジージャーニー”を毎週のように紹介していたらどっかで『ネタ切れ』が起こるんですよね。当たり前です。誰でもいいから紹介するのではなくて、”独自のこだわりを持ったブッ飛んだ人”に密着して放送しなけれいけません。
最初の方はまだまだ沢山そういうジャーニーはいるでしょうし、ある程度のストックはできると思います。だから番組として放送する事にしたのですから。
しかし、続ければそのストックも無くなってくるはずなんですよ。普通に考えれば当たり前の話ですよね。
でも毎週放送の番組なので何かは放送しなければいけないわけです。
さらに回を重ねることにコアなファンがついて期待値はどんどん上がっていく…
結果、ヤラセ(過度な演出)をせざるを得ない状態になってしまうんですよね。製作側も演者も心を痛めながら作っていたと思います。
なので、こういうタイプの番組って定期的に放送するってのが土台無理なんですよ。
例えば、テレビ東京の『池の水ぜんぶ抜く』シリーズを考えてみるとわかりやすいですよね。日本で池の水を全部抜け(さらに何かドラマが起きそうな)るなんて言ったら数が限られますから。この番組を毎週やっていたとしたら、どんどんとつまらない池になっていき、最後は日本中の池の水を抜いたらネタが無くなりますからね。
こう言うのはある程度ネタが溜まってきた時に不定期で放送するとか年に2回とか無理しないスパンで放送するのが良いと思います。
今回は”クレイジージャーニー”にスポットを当てて紹介しましたが、最初は面白かったけれどどんどんつまらなくなっていく傾向の番組の理由に”ネタ切れ”があるのは多いと思います。
もちろん、最初から視聴率だけを狙ってやらせ(過度な演出)を行った番組を『ノンフィクション』と言って放送するのはダメです。それならメーター振り切って「このドキュメントはフィクションです」とテロップを入れたほうが良いですね。ちなみにそう言う「ノンフィクションっぽく見せたフィクション」の番組形態を”モキュメンタリー”と呼んでおります。
モキュメンタリー(フェイク・ドキュメンタリー)は如何ですか?
あと、いわゆる一般的に行われているヤラセについてはこのエントリーに書いてありますのでお時間があれば是非。
質の高い番組を安定した定期スパンで放送するのは難しいです。なのでヤラセに走らずに「そろそろネタが無くなったので1年間お休みします」とか出来るようになると良いと思います。
そう言う風潮が受け入れられるようになればテレビの番組の質はもっともっと上がると思いますよ。