生きる上で結構大切な事に「理不尽にどう向かい合うか?」ってのがあるのではないかと思っている。
”理不尽”……ちょっと辞書で調べてみると、
理不尽とは、簡単に言うと道理に合わないこと、あるいは矛盾していること、筋が通らないことなどを意味する言葉である。理不尽の「理」には物事の筋道、道理といった意味があり、「不尽」にはつくさないこと、つきないことといった意味がある。ーweblio辞書より引用
とあった。
いまいちピンとこない。世の中、道理に合わない事なんてたくさんあるし、矛盾していることなんてのは”二律背反”みたいな言葉の方がしっくりとくる。
僕が思う理不尽ってのは、『自分の力だけではどうしようもない事』ってのが根底にありその上で自分に降りかかってくる災難だ。
どれだけ暴力やパワハラ、セクハラやモラハラがなくなっても社会の中で生きていく上では”理不尽な場面”は無くならないと思っている。
自分だけ正義や秩序を守ってたとしても、それは自分だけの話。世の中にはそれを守らない人もいる訳で、それは年齢性別国籍問わずいる。悲しいけど。
僕自身性善説に基づいて生活してるつもりだが、やっぱり全員がそうではない。これは絶対。
学生時代の小さなコミュニティならそれが成立するかもしれない。でも社会では色々な人と向かい合わないといけない。知らない人と接すれば接するほど理不尽な場面は増える。
『理不尽』
って言葉を僕は麻雀をやる度に思う。
自分が相手に振り込まないように気をつけてもツモ上がりされたらそれまでだし、他の人が振り込んだ結果順位が下がってしまう事も多々ある。
麻雀をやる度に「自分だけではどうしようもない世界があるんだよな」って実感することができる。まだ麻雀というゲームなので良い。もちろん金銭は賭けていないしスマホのゲームの中だけの世界。
主に理不尽は対人の時に発生すると思っている。
世の中は理不尽な事だらけだ。
でも、その理不尽同士が絶妙なバランスを保つ事でこの世界は成り立っている。
いま、少しそのバランスが崩れているような気がする。僕だけがそう言う目に遭っている……のとは違う。
理不尽な目に遭っている人は多い。世界的に多い、のだ。
何が出来るわけではなく、手を差し伸べる事も難しい。
とりあえず、出来ることを考えよう。他人の優しさへの配慮の前にまず自分の事を考えよう。
理不尽な目にあっている時は誤った方向へと意識が行きがちだ。思考が暴走しがちだ。
まずは立ち止まって進むべき道をしっかりと考え直そう。
まずは生きよう。
話はそれからだ。