最近、やけにネガティブな発想になったり若い頃に戻りたいなぁ……なんて思っておりました。(単純に言うと新人たちが楽しそうなのでそれに混ざりたいなぁ〜と言う欲。一言で言うと嫉妬です)
ここ数年、毎年冬になるとメンタルがやられがちで……なんともすいません。(どうにも日照時間が短いせいで『冬季性うつ』なる現象もあるそうです)
やっぱり、ポジティブに考えないと!とか、持ち堪えろ!とか思うんですけど仕事はしてるけど理不尽な事も多く……なかなかメンタリティーの維持が厳しかったですね。
単純に言うと孤独を感じてたんですよ。
んで、年も明けてある日曜日に同じく独身の同期と家から徒歩10分で行ける隠れ家温泉に行きました。冬ですが天気が良くてですね。
なんか、この温泉は隠れ家的な場所にあり混んでることは少ないのですが本日はすごく混んでいて「あれ?何かでニュースになった?」なんて思ったものです。3人組くらいの大学生の団体が多かったのかな?もしかしたら高校生だったかも知れません。
そう、学生にとっては卒業シーズンです。またあたらしい世界が待ってます。モラトリアムの終わりを感じるのもそれもまた良き哉。
その日はサウナにも行列ができており異常事態でしてね。同期は何回かサウナにチャレンジしてましたが僕はチャレンジせずに内湯だったり露天風呂だったりで自然を感じながらゆっくり出来ましたね。たまには良いですね、こういうの。特に露天風呂は外の風を感じながら風呂の中は暖かいと言う無敵空間。些かですが色んなことを考えましたね。こう言う時にはスマホが無いのが一番良い。
僕は先に出て建物の中でダラダラしていたら同期が到着。
同期は今日は地元の駅前の家系ラーメン食べる予定だったようですが「家飲みもいいかもね?」と方向転換。
鍋が食べたいと言うので具材とお酒を買って帰宅です。
家飲みの最近のパターンは同期が飲んでる間に卵料理でチャチャっとオムレツ(もしくは目玉焼き)を作ります。これは2〜3分で出来ますからね。慣れたものです。
その後鍋のリクエストに対して久々につくりました。まぁ鍋も楽ですし、何より同期の友人がガツガツ食べてくれて嬉しかったですね。
その後、しばしYouTube見たりしてキリの良いところでお開きです。まだ時間は14時。まさに昼飲み、部屋飲み。
なんかね、ちょっと元気をもらえました。全然そんな悩みの話はしませんでしたが30年も一緒に同期やってるとなんとなくわかるんですよね。
彼が帰った後、YouTubeでおぎやはぎとバナナマンのコントを見てました。シチュエーションコメディと言うもので観客を入れて一発撮りするものです。
やっぱりおぎやはぎは好きです。
でも、もし僕が今25歳だとしたらおぎやはぎ(今51歳)のセンスもわからなかったのかも知れません。ただの毒舌おじさんというイメージしかわかないのかもしれませんね。
ダウンタウンの漫才も「若者の立ち話」と揶揄されていた頃からダウンタウンは見てますし。
そう……。
1975年生まれの僕は新テクノロジーのシャワーを浴びて生きてきました。
ファミコンが出た当時は雨の日でグラウンドが使えない時の代替手段でしたし、インターネットが出た時は会社でもまだまだ流行ってない頃で、しかしその当時に配属されていた部署の仕事上インターネットはガンガン使えました。
iPodにCDの曲を貯めて移動中も楽しかったですし、音楽に関しては僕とミスチルは(ほぼ)タメです。
ガラケーで着メロを打ち込むのも楽しかったです。
当時大好きだった女性の着メロ入力担当になった時にこっそり通話履歴を見たのは今でも内緒です(メールとかは観てません。ちなみにその人と結婚したみたいです)
さぁ、スマホが出てきます。
そして、追い打ちをかけるようにSNSサービスの台頭が始まります。『いいね』欲しさの承認欲求の時代ですね。
テレビではコンプライアンスに考慮して子供の頃に見た過激だけど腹の底から笑える番組も減ってしまいました。
TEAM NACS(大泉洋がいる劇団)とほぼ同世代だったってのも大きいかもしれません。同じ北海道のグループで遊んでたので「俺たちにもこの可能性はあったのかもなぁ」って思ったりもしました。
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さて、仮に僕が(勝手に)今嫉妬している年代である1997年に生まれたとしましょう。北海道生まれ、親父はアル中、母親の仕事で生計を立てる日々。……子供部屋おじさん確定でしょうね。
私立に入るお金なんて無いし、もしかしたら上京することすらできなかったのでは無いでしょうか?
はい、無理ゲーなのです。
1975年生まれの僕はプログラミングと音楽に打ち込んで、プログラミングを生業に大企業に就職、上京です。
……時代か。って感じですね。
当時、たくさんの恋をしました。何人もの人とお付き合いしました。
でも、僕は結婚まで行かなかった。ただ、それだけ。
今後独身のまま50歳を迎えるでしょう。
仕事は忙しいけど、今考えると独身だからここまで火消しに全力を注げたのでは無いでしょうか?
家族とかいれば家族サービスや家族内のいざこざもあるでしょうしね。火消しって家族サービスをしながら中々できるものではありません。
ただ、ただ、シンプルに結婚しなかっただけ。こればっかりは仕方がない。
勿論、結婚は何回か考えました。
でも、大好きなお笑い芸人やミュージシャンと同世代を過ごせたってのは(やっぱり)1975年生まれが好き!って事でしょうね。
僕の世代を筆頭に氷河期以降の世代は今後辛い日々を過ごすと思います。年金なんて長生きできたボーナスみたいなものです。もはや期待はできません。
先ほどのお笑いの話とかに話を変えると”世代”ってのは新陳代謝でどんどんと変わっていきますからね。生物である以上これは仕方がないです。
カルチャーについても新たな漫才、コント、舞台は生まれてくる。
こういう時代ですから、今の会社捨ててクリエイターになるという道筋だって昔よりもハードルは低いのではないでしょうか?
僕が若者たちの文化に無理やり寄せるような事をしないのと同じで、若者たちは特段興味がなければ僕たちの世代の文化に触れるような事はしないでしょう。(もちろん、あるカルチャーに興味を持ってルーツを探っていくと僕の世代や僕よりももっと前の世代の文化に触れるかもしれませんが……)
誰だって、今の『文化』で育ち、10年後くらいに次の『文化』で塗り替えられていくわけです。こればっかりは仕方ない。時間は平等。誰だって歳をとります。
やっぱり、僕は僕が生きてきた時代が一番好きなんですよね。誰だってそうだと思います。
だからただの「雑学大好きなうんちくが多いおっさんだけれども、ある程度仕事はできる人」ってのが自分には合っているのでしょうね。
……と、ここ数年毎年、冬に勝手にメンタルが落ちて春に向けて勝手にメンタルが回復するって事を繰り返しているのです。我ながら面倒な性格ですな。「知らんがな。勝手にせーよ」って感じです。
って事で人間は生きているのですね。
2023年の2月12日深夜、TBSラジオでJUNK20周年特番で月〜金のパーソナリティが集合して2時間特番を打ちました。
後半はほとんど思い出話になってましてね。
年取ると昔話をしだすのは芸人も変わらないんだなぁ〜と思いながらも「この昔話で懐かしい!最高だ!」って思えるのも僕が48歳だからこその証だと思ったと言う事で〆ます。