“もう終わりだよこの国”
って言葉がネットに書かれ出して数年経つような気がする。
世界的に突入したコロナ禍は数年間続き今もなお残っている、さらに追い討ちをかけるように未曾有の事態が立て続けに起こっている。
そんな中、Z世代と言われる人たちの話題をニュースで目にすることが多い。
リテラシーが無く後先考えずに承認欲求のために自分の悪行をネットに載せるような事を平気で行うような所業がニュースで報道されている。
でも僕と僕が働いている会社は驚くほど何も変わらない毎日が続いている。昼食費が高くなったくらいだ。
新人(定義的にZ世代に属する)は礼儀正しいし何より頭が良い。
偏見で申し訳ないが、僕が勤めている会社は結構就職レベルが高い方に当たると思う(僕は高卒で入ったからなんとも言えないのだが…)
若いうちからゴルフとかを嗜んでいる人も多いので幹部とかとのコンペでいろんなコネを作っているようだ。
多分、いい大学に入ってる人はきちんとしてると言うのが僕の感想。
所謂Fランの人たちはどう考えているのだろうか?これに関しては接点がほとんどないので良くわからない。
また、これには実家の太さも影響すると思っている。
家が太いと学費もある程度安心できるし趣味にかけるお金を作りやすいのも事実。
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なんかそんな時代でふと思った私見を書いてみようと思う。
それは、昭和、平成はお金持ちと貧乏の中間がきちんといたんだと思う。中流家庭と言う奴。その層が強かった。
「よそは他所、うちはウチ」という中で家(家計)は弱いけど『何クソ!!何クソ!!』と学業や仕事に打ち込んだ。
金は欲しいがまずは二の次、死ぬほど頑張って結果としてお金がついてくると言う感じの家庭。
今は”親ガチャ”とか”会社ガチャ”、”上司ガチャ”で自分の責任から逃げている人が多いんじゃないかなぁ?と。
“こどおじ”も同義に取られるかも知れないけれどある程度の年齢までは実家の部屋で過ごしても良いのでは?と思う。家賃などがかからないし、両親の面倒も見れる。家にお金を入れていれば……。懸念点は彼女とのお泊まりデートの費用くらいだろう。
……これは勿論”働いている”と言う前提の上の話。
働いていれば結婚して家を出てすぐに新居を買ったり借りたりする事ができるであろう。
家が太いけど子どもにしつけや道理を教えてこなかった家庭もあるだろう。
お金はあるから困らない。学校や職場で辛いことがあった時に「辞めてもいいんだよ」と簡単に言える家庭。それが一度や二度で無く、さも当たり前のように……そうするうちに年齢だけは無惨にも重ねていく。
“ニート”の誕生だ。
彼ら(彼女ら)はリアルな社会との接点を極力嫌う。ただお金はあるからネット上のアイドルなどは応援できる。”スパチャ”などが良い例かも知れない。それ自体は悪い事ではないと思うがそのお金はどこから出ているのか?と言う点だ。
先ほども書いたが彼等、彼女等も歳を取る。
鏡を見る習慣があるかどうかわからないが、自分のイメージは若かった時代で止まっているのではないだろうか?
電源の落ちたスマホの画面に映る顔から逃げているのではなかろうか?
若かりし頃を懐かしむ分には問題がないが、彼等はまだ”10代”のモラトリアムに浸ってるのではないか?と。
たまに家電量販店に行くとおそらく僕より年齢を重ねている人がおもちゃなどを見ている場面に遭遇するのだが『圧倒的に顔が幼い』のだ。
「若く見られますね」ってのとはちょっと違う。『幼い』のだ。
偏見だがそのおもちゃなどを買うお金の出所は太い実家の両親のお金から出ているのではないか?偏見すぎるかも知れないがそんな思いすら湧いてしまう。
社会に出て色々な経験を積むと良くも悪くも『大人の顔』になる。”いい歳のとり方”と言うやつだ。案外カッコよくなったり綺麗になったりする人も多いと思う。
今の僕にはこの国が『上級国民』と『貧困層』の所業が目立ちそれらを発信するニュースが『中流階級』に悪い影響を与えているのではないか?と思うのだ。
……まぁ、考えすぎなのだろうけれど。
そう……ぐだぐだ考えたところで僕の日常はそんなに変わっていないんだよね。
あーだこーだ書いたけれどもあんま意味が無かった。
皆さんにも、自分と自分の目の前の人を大事に生きていけばいいんじゃないかな?と思ってる。
例えば、Yahooのページは開かなければ良いしテレビをつけてニュースを見ていた時に嫌なニュースが流れてきたらチャンネルを変えるか電源を切れば良いのだ。
それらのニュースを見ることが”現実と向き合う”事では決してないと言う事だ。
自分の日常をちゃんとおくる事が”現実と向き合う”事。世の中を変えたいのなら然るべき方法(政治家になるとか学者になるとか)で行えば良い。
そんな日には午後からでも、そうだな、熱海にでも行ってしまえば良いと思うよ。