『ゴジラ-1.0』が今年(2023年)公開されましたね。
僕はまだ観ていないのですがなかなか好評のようで、入ってくる情報(ネタバレなし)では「庵野秀明さんの『シン・ゴジラ』も良いけれど『ゴジラ-1.0』も良いよね」みたいな感想のようです。『シン・ゴジラ』は未知の生命体(ゴジラ)に対する日本政府の対応と言うポリティカル・フィクションに対して『ゴジラ-1.0』は戦後の絶望の中に追い討ちをかけるようにゴジラが来襲するというのがテーマみたいで比較するのもおかしいのですけれどね。
勿論、両作品とも『ゴジラ』と言う原作(?)があってこその作品だと思います。
さて、先に挙げたゴジラのように色々な作品の続編やスピンオフとか作られていったとして、その人気がけっこう出た時点のファンの意見の中に「やっぱり初代が原点にて頂点だよな」みたいな意見が出てくる傾向に向かうと思うんですよ。
新しい作品を作ると言うのはゼロイチの作業に近いと思います。 で、人気が出たら続編やリメイクは作りやすいんです。
ものづくりをする人間からするとゼロイチを作った作品はあらゆる要素を詰め込みながら無駄なものを排除する傾向にあると思うんです(例えがあっているか分かりませんが手塚治虫さんの『ブラック・ジャック』は編集部は打ち切り前提だったため各話読み切り形式だったそうです。ただ手塚治虫さんは頭の中に確固とした構想があったのでしょう、結果的に長期連載になりましたが作品の内容がブレるような事はなかったと思います)
矛盾するような事を書きますが最初の方はアイデアが湧き出る状態が多く何もかも詰め込む傾向があります。でも不思議な事にそのアイデアの整合が取れてたりするんですよ(その段階で作者が無駄なものを排除していると思います)。
テーマがシンプルと言うか軸がしっかりしていれば色々なアイデアも伏線回収のように紐付く……とても不思議ですがそんな感じだと思います。
どれだけ技術が発展してもやはりエッセンスは全て初代に詰まってるんですよね。エッセンスを追加すると一見面白かったり斬新だったりするかもしれないですけれど味付けが濃くなるのかもしれませんね。初代はシンプルだけれどもバランスがとれていた、みたいに。
なんかラーメンとかも拘って本物志向になっていっても「やっぱり昔ながらの町中華の醤油ラーメンなんだよな」みたいに立ち返る事があるかもしれません。(ラーメンハゲの漫画も最近この傾向ですね)「古いものが良い」という思い出補正がかかっているケースもあり若者からは『懐古厨』なんて呼ばれてしまうかもしれませんね。 (まぁ『懐古厨』なんて言葉は若者は使わないと思いますが…)
続編やリメイクの数がどんどんと増えるとそれらがお互いの評価対象になると思うんですよ。で、最終的な評価対象ってのはやはり”初代”なんだろうな、って。
(ただ、「これはxxのメタファーのはずだから違う」とか「この作品に共通するのはyyへのアンチテーゼだから違う」といった意見には「作者じゃないんだからわからんだろ」と言うスタンスでいます)
勿論、当時の撮影技術・手法や予算は限られていたので、もし現在のテクノロジーがあれば案外初代ゴジラも『ゴジラ-1.0』みたいな作品になっていたのかもしれません。こればっかりは作者も亡くなっていますしifの話ですからね。
と、頭の中でゴジラを想像しながらこのエントリを書いてみました。
また、ここ数年はAIの性能がとんでもないことになっている為、The BeatlesのデモテープからAIを使ってJohnLennonのボーカルを抜き出しまさに本家の新作として『NOW AND THEN』が発表されたり、手塚治虫さんのブラック・ジャックの過去の作品を読み込ませて生成AIで最新の『ブラック・ジャック』が発表されたりしました。
ただやはりそこはAI。「やっぱりなんか違う」とか「倫理観が飛んでいる」みたいな意見も出ているみたいです。(The Beatlesの方はデモテープはあるのでそちらは素直に喜ぶのが良いと思いますが)
もしかしたら今後エヴァンゲリオンの新作を庵野さん以外の人が作成するかもしれません。こちらはAIというよりもエヴァファン達の「ぼくのがんがえたさいきょうのエヴァ」的な感じなのでしょうね。二次創作と言うよりももっとちゃんと商業ベースに乗るような規模の作品としてです。
その時に「庵野エヴァが原点にして頂点なんだよな」みたいな感想にやはりなってしまうのか?
色々と楽しみではありますね。