何かのネット記事で「関東に住んでいる人は昔のRPGの『街と街の間隔が分からない』のだ」と言うものを読んだ。ここで言う『街と街の間隔』とは、RPGで街から街へと移動する際の無いもない平野フィールドを敵と戦いながら進んでいく間を指す。確かに関東圏に住んでいれば街と街の境目はほぼない。電車、地下鉄、バスだけで行けない場所はほとんど無いのが実際。
確かに僕が主に仕事をしていた浜松町、新橋、有楽町(丸の内)、東京、神田、秋葉原。すべて山手線の各駅である。その気になればこれらの街は徒歩ですべて”線”で行ける。道さえ知っていれば知らない人に対して「え?もうこの駅の最寄りなの?」と思わせる事もできるだろう。すべての街と街は境目で判別される。間の草原は無いのだ。
僕が今住んでいる矢向と言う街は『川崎市と横浜市』が入り交じっている。僕の住んでいる住居は横浜市だけれども矢向の駅の線路を渡ると川崎市になる。川崎市も横浜市も大きな街だ。そのくらいに境界線はない。ノーボーダーだ。
だが。北海道出身の僕としては『街と街の境目』なんてものを感じることはない。街を出たら何もない『野原』がただただ続くのだ。しばらく車を走らせると次第に道路脇が賑わってきて次の『街』に到着する。そうだ、コンビニの間隔を思ってもらえると助かる。関東にいるとコンビニとコンビニの間隔は(どのチェーン店かを問わなければ)徒歩で直ぐに行けるのでは無かろうか?実に近いし、そこに境目を感じることはほぼ無い。
地方に住んでいる人が「車が無いと生活出来ない」と言っているのはそう言う意味がある。最寄りのコンビニまで車で15分、とかはザラにある。
逆に関東では車を使わなくても移動が可能なので車は『贅沢品』の部類に入る。
もちろん、日本において県境や街境と言うのは勿論ある。それはどの場所でもだ。ただ、関東は境目ギリギリまで建物が並ぶ。コンクリートジャングルとはよく言ったものだ。
田舎にも県境はあるがそれは陣取り合戦と言うかあくまでも定義されているだけでだだ荒野が続く(とは言え整地はされているが……)
という前提を置いたところで、仕事やイベントで別の地へ出張や遠出をした経験はなかろうか?飛行機は上空を飛んでしまうので、出来れば陸路である事が好ましい。
一番多いのは新幹線だと思う。新幹線に座っているだけで遠くの街へと移動できる。ドラクエなら『ルーラ』だ。
そんな新幹線。点と点を線で結ぶ路線になっている事がほとんどだと思う。合理的・効率的。迂回するのは実に非効率だからだ。
さて、「迂回する」と書いたが、何を持って迂回するのか?日本という島国においてそれらのほとんどは山だと思う。関東に生きる人には実感が湧きにくいかも知れないが日本には数多くの山谷がある。実は日本において平坦な場所は少ない。が、平坦な場所ほど栄える。簡単な理論だ。上下の軸を考えなくて良い。「ちょぅと坂道が辛いなぁ」 では無い。山が行く手を遮るのだ。
新幹線などの線路を引く時にその路線の途中に山があったらどうするだろう?やはり迂回する?それともアップダウンして登山・下山する?
……違う。答えは山に対して繋げる為の穴を掘る、だ。それがトンネル。
車窓を見ていてひたすら緑の畑が続いたかと思えば突然真っ暗になる。それがトンネル。
山の大きさにもよるが場合によってはかなり長い距離のトンネルを掘る事がある。遠距離ドライブをしている人なら経験していると思うが、トンネルを抜けるとまったく別の景色が広がっていたりすることがある。それは地形と天候に影響されていたりする。
ートンネルを抜けるとそこは雪国だったー
川端康成と言う作家の『雪国』と言う小説の冒頭である。
トンネルは山を掘ったので直接の日光が当たらない。人工的なライトしか明かりを灯す術はないけれど、トンネルを抜けると日照時間にもよるがいきなり明るい光を浴びる。それが冬、それも雪が降っていれば一気に「暗転→明転」という舞台装置になる。
広域移動をしない人にとって「トンネル」は非日常なのかもしれない。車でも新幹線でも。昔はトンネルの中はネットが繋がらない事が多かったのでより非日常を感じられたような気がする。
長い長いトンネルを抜けて目的地へと急ぐ。
窓開けて風にまかれて君のウチの方へ
トンネル抜けて