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なぜ過去のゲームを最新ハードに移植すると費用と時間がかかるのか?

最近の国産RPGって過去の作品のリメイクが多いような気がしませんか?全く新しいタイトルではなくてナンバリング作品だったり、ファミコンやプレステ時代の作品のリメイクだったりと…‥。

僕が若い頃に遊んだタイトルとその時の感動を今の若い人が受け取ってくれるのか?は不明ですけれど、まぁ「懐かしいな」とは思います。

ただ、発表から発売までにとんでもなく時間がかかってると思うんですよ。FF7は分作になってますし。

時間がかかるって事はお金が掛かるって事なので売れないと次の作品の予算は減らされてしまうんですよね。
逆説的に言うと全く新しい作品をお金をかけて作るよりも過去作品のリメイクの方が「ある程度の売上が約束されているから」って気もします。保険みたいな感じですね。

さて、過去作品のリメイクになぜそんなに時間がかかるのか?

少し考えてみました。
まず挙げられるのが「今のハードの性能が活かされた作品が求められているのでは?」と言う点です。PS5使って解像度とかがファミコンのドット絵だったら「スマホゲーじゃないんだから」と突っ込まれてしまうのではないでしょうか?

で過去作品を今のハードに合わせて超絶リアルにするとなんか当時のゲームの雰囲気と”整合性”が合わなくなるような気がするんですよね。

ファミコン時代はドット絵で多少強引に表現していた部分(遊んでいる人もこの性能だから仕方ないか…と思って遊んでいました)をPS5のクオリティーにすると勿論作るのに時間がかかりますし、結果的に「思ってたんと違う!」になってしまいそうで……

あとストーリーも当時の容量の制限で多少強引なイベントだったりするのもPS5とかになると「流石にこのグラフィックでこのイベントの進行はおかしいだろ」となってしまうのでは?と。

Maxresdefault

この人の生存ルート考えてるのかな?

また、ゲーム性にもある程度の斬新さを求められているような気がします。昔ながらのターン制のコマンド選択だと「つまらない」って言われそうですし、リアルタイムアクションタイプにすると「そう言うのじゃないんだよ」って言われてしまうかも知れません。ただその両方を選択できるようになるとゲーム性が変わってきます。また整合が取れなくなってしまいます。

後は生粋のゲームプログラマが育ってないのかもな、とも思いました。当時のゲームの開発って制限との戦いだったと記憶します。限られた容量の中でいかにしてゲームを成立させるか?そこがプログラミング能力とアイデアの戦いだったと思うんです。

初代ドラクエはカタカナ50音を全て使うことが出来なかったと聞きます。その為に魔法の名前を工夫したり台詞を工夫したり。
グラフィック容量も少なかったので同じデータを色違いで表現したり……など。

今は制限がなくなりすぎたのかも知れませんね。あとハードの性能が上がるほど“実写みたいな動き”を期待されているのかな?とも思います。新しいハードが出るたびに「うわムービーかと思っていたらこのまま遊べるのかよ!」と言う点が評価されたりします。

そう言う意味では任天堂Switchはあえて性能に拘らずに「子供たちが遊びやすいハード」に視点を合わせてて流石だな、と思ったりしますね。

フリーの開発者としてはPS5用に作る必要はないのでスイカゲームとか比較的制作費がかからないインディーゲームで一発当てた方が楽!と言う風にゲームを作る人は流れていってしまってるのかも知れません。

そう考えると大型RPGコンテンツってもう日本からは生まれないのかも知れませんね。

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