軽い微熱がある日、会社を休みのんびりとすることにした。
解熱剤を飲んで、お昼ご飯を買ってお酒まで買ってしまった。有給はこう言う時に取るのが正解なのだろうか?会社員になって30年経つがいまだにわからない。
正直体調は完璧ではなかったのでお弁当の具材をつまみにビールを飲みながら休みを過ごそうと言う訳だ。外はまだ寒いし沢山のウイルスも蔓延ってる。
テレビをつければ面倒な話題がずっとやってる。自分は当事者ではないのでそれに関する感想はあるかも知れないがそれをSNSに書いたりするのも違うのかな〜と。
それは裏ドリが全くできてない臆測の世界だけだから。そんな感情は十人十色であろう。場合よっては狂気になる。使い方を間違えてはいけない。
と言うとことで毒にも薬にもならないYouTubeで下世話な動画でも垂れ流そうと思ったけれどふと思い出しアマプラの『PERFECT DAYS』をみることにした。役所さん主演の不思議な作品。
僕も今年でもう50歳を迎える。独身だ。両親は生きているが地理的な問題もあり会う機会は少ない。
これからどうやって生きていくか?も含めて見ることにしてみた。ちなみに上映時間は2時間4分と結構長い。
主人公である平山(役所広司)はミニマリストのような生活を送っている。
朝は外の音で目覚め歯磨きなどの一連のルーティンをこなし車に乗り仕事である渋谷区のトイレ清掃の仕事をする。そこに一切の手抜きは無い。
清掃に使う車内ではラジオは流さずに自分がストックしているカセットテープを流す。ちなみにこの映画の舞台は令和だ。
仕事が終わると車から自転車に移動手段を変えて行きつけの銭湯に入り風呂上がりに浅草の立ち飲み屋で定番セットみたいな物を飲んで帰宅。
夜は読書。疲れたら部屋の電気を消し、布団の近くのランプ(読書灯)を灯して老眼鏡と共に読む。どこまで読んだか?より眠くなるために読む感覚。最後は眼鏡も本も布団の横に投げ置く。この感覚は個人的によくわかる。
朝は部屋で育てている観葉植物を育てる毎日。
お昼はいつもの場所で牛乳とサンドウィッチ。そしてその日の空を私物のフィルムカメラに収める。
週末は作業着などをコインランドリーにいれてその後にいきつけの小料理屋で飲む。この工程の途中で古本屋に行って100円の古本を買い写真店でこの1週間で撮った写真を現像するのもルーティン。勿論翌週用のフィルムもここで購入。
一週間のルーティーンに掃除と洗濯は出てくるが自炊は出てこない。もっとこの映画をストイックにするのならご飯を炊いて朝食を食べ、お昼用のおにぎりを握ると言う場面があっても良いかも知れないがそう言う描写は無い。
玄関には”外に持っていくもの”が並べられているのだが、そのひとつに皿に雑にのった小銭がある。そこから数枚をポッケに入れる。
そしてそのお金を使って、朝に家の前の自販機で缶コーヒーを飲むという描写も好きだ。
同じ日々はこないと言うテーマに対して毎回“自分のルーティン“に少しの横槍が入るが平山はそれを受け入れる。
自分のルーティンが壊れる事に対する怒りは無いと思う。いかにしてこう言うケースもパターン化するか?……みたいな感じ。
後半、平山はもしかしたらトイレ掃除とかをする器ではなくもっとエリートな道が用意されていた事を示唆する場面はあるが、平山は全く後悔していない。
もしかしたら平山はエリート街道を歩いていたが父親からの激怒によってそのレールを外れる事を意識したのかもしれない。それに対する贖罪。でもエリートならではの贖罪はルーティンが素晴らしすぎるのだ。
その1人のルーティンは孤独か?と言うと平山の場合は案外他者との接点がある。同じ仕事をしてる人、毎日の飲み屋、週末の古本屋、写真店、小料理屋。
基本的にパソコンを使っている描写は無かったのでSNSなどはやっていないのだろう。あくまでも“自分の時間“を生きる。
もし、この日常にペットがいたりしたらどうだろう?
あと、いずれは訪れる病魔。このルーティンの中、平山はどうやってそれを乗り切るのだろうか?
少し安心して、理想の暮らし方を淡々と描いているが、それでいて老後の不安感が残るような作品。
Z世代の人には耐えられない時間が続くかも知れないが、これが現実の老後の時間そのものなのだろう。