これからの社会をリードしていく上で必要なのは、理系脳か?文系脳か?そんな事を思いました。まぁ、僕は高卒なので、そういうのを意識した事はありません。まぁ、工業学校だったので、理系と言えば理系かもしれませんが、大学生のように、明示的な”理系・文系”と言う区切りはありません。
思うに、この世の中をリードし、作って行く為には、理系だけでも、文系だけでも無く、その両方、交わる地点を大事にする事が大事だと思うのです。「文理」って言うんですかね?って言うのをジョブズ関連の本で読みました。(お風呂の中で読書するのが最近の趣味です。)
僕が昔に何かで読んだ「理系と文系の区別の仕方」ってのが記憶に強いです。 それは「雪が溶けたら何になる?」って質問です。 まぁ、答えですが、「春になる。」なら文系、「水になる。」なら理系って訳です。なんちゅーか「良く出来た問題だなぁ。」程度で実際にみんなこう答える訳では無いですが、言い得て妙と言う奴ですな。
物事に条件を付けて式に当てはめ答えを求めようとするのが理系、物事について自分の心がどう動いていくのか?どう動かしたいのかと考えるのが文系みたいなニュアンスでいます。
理系脳だと、理屈っぽいとか言い訳がましいってイメージがあるかもしれませんね。後はなんでも合理化を図ろうとし、その合間にある「風情」みたいなのを軽視するイメージでしょうか? 文系脳だと、なんでも「答えなんてないよ。自分自身が思えばいいのさ、さぁ、酒でも飲んで、語り合おうよ。」みたいなイメージ。
まぁ、どちらも僕が勝手に思っている極端なイメージなんですけれどね。
僕自身、システムエンジニアなので、仕事は理系なのだと思います。プログラムを組んでいる時は楽しいですし、自分が思った通りに計算結果が出てくるのは痛快だったりします。
が、最近はあまりプログラムをしなくなりました。必要とあればしますが、もっと仕事の仕組みを考える事が多くなっております。
そうすると理系の脳だけではダメだと思うんです。 理系脳で考えても、突き破る新しい発想とか、逆転の発想は出にくいのでは?と思います。「文系の思いつきを理系が実現する。」そんなのが理想なんじゃないかなぁー?って思っております。
ちなみに、僕は家ではプログラムは組みません。若い頃はWebのシステム的な物を組んだりしましたが、最近はそのチカラが沸かなくなっています。
そもそも高校時代から、音楽を聴いたり演奏したりするのが大好きですし、本も小説とかを沢山読んでいます。文系の本が多いって言えば多いですね。自己啓発系はほとんど読みませんし、読んでも粗探しばっかりしてしまいます。そこら辺が理系なのかもしれませんね。
まぁ、例えば、音楽で世界を変える為には、曲を作る人(文系)とそれを広める人(理系)が必要なんじゃないか?って事です。なんぼ口コミとは言え、世界を変えるためには例えば、Youtube見たいなデジタルシステムが必要になるんじゃないか?って訳です。広める人ってのは広告代理店では無いのであしからず。
映画や小説で世界を変えるためには言語の壁があります。まさに文系の問題ですね。ニュアンスがありますから。ただ機械翻訳(理系)しただけでは伝わらないでしょう。ここら辺のインフラを深めていく(例えば、以前流行った”字幕.in”など)事が必要なんじゃないでしょうか?
まぁ、理系は「文系なんて」と思わず、文系も「理系の奴が」なんて思わず、交差点を見つけ上手くコントロールできる人が次の世代をリードする人なんだろうなぁ。って思った訳です。
かしこ。