電通の社員が過激な業務(残業)を苦に自殺すると言う悲しい事件がありました。
残業は悪とは言いませんが、ある程度の残業が当たり前とされている風潮が日本にはありますよね。
外国の人とかって結構ドライで勤務時間が終わったらすぐに帰ったりします。(その為、電話が繋がらなくなったりします。)
今回の事件の定量的数値に「残業100時間」があげられるのでは?と思うんです。
僕だって、会社に入ったばっかりの頃はとにかく毎日経験で残業当たり前でした。毎月100時間残業なんて当たり前。年間の残業を999.75時間にわざと制限したりして会社に提出したものです。
だからと言って、「俺の時代は100時間残業が当たり前だ!」なんて言うのはちょっと違うと思うんですよね。
確かに、当時付き合っていた(?)女の子に「あなたとは時間が全然合わない。電話も夜遅いし。」と振られた事も多数です。
でも、僕、当時の仕事が楽しかったんですよ。プログラムを作っている幸せ。自分の技術が役に立つ幸せ。若かったので体力もありましたし、モラハラ、セクハラなんて無用の職場でした。
当時、残業自慢なんてのも時代だったんですよね。でも、当時は周りも残業してましたし、結局自慢にも何にもなりませんでした。
先にも書いた通り、僕がガンガン残業できたのは「楽しかった」からです。自分で手を動かして、想い通りに結果が出て、お客の笑顔を貰えた。
だから当時の残業は苦でなかったし楽しかった。残業代は出るし、その金で毎日のように飲んでも(深夜まで開いている店とかあったので。)お金が貯まったりしました。
そうなんです。僕は楽しい事をやっていた結果、結果的(相対的)に残業していたんですよ。これが大きいと思います。
若いうちから裁量を認めてくれたと言う職場も良かったし、お客様と一緒に仕事をしていたけれど直接的に笑顔を貰える。
映画を撮っていたり、音楽をやっている人も一緒ではないでしょうか?辛くても、楽しいから夜を徹して編集する、音楽を作る。そういう人には勿論、残業代も出ないと思うんですよ。でも、彼らはそれでもクリエイティブな仕事をする。
そういう人って、なんぼ働いても「良いものを作りたい!」っていう気持ちって大きいですよね。
でも、いやいや仕事をしながら、やりたくない残業を強いられている人々も多いのは確かです。モラハラ・セクハラ・体育会系の会社だってたくさんあります。その中での100時間の残業って本当に何にも楽しくないんだと思います。辛いだけ。
同じ「残業100時間」を字面だけで追うと、色んな意見が出ると思います。根性論を出す人もいると思うし、残業なんて当たり前!俺だってそう!って言う人もいると思うんです。
僕もデスクワークだったから100時間残業できたわけで、立ち仕事で残業100時間は辛いと思います。クレーム処理で100時間残業なんて心が持たないと思いますし、パワハラ受けたら早く帰りたいと思います。(男性なのでセクハラはなかったですけれど。)
だから絶対的残業の100時間なのか、相対的残業の100時間なのか?残業の質、状況を考えて考慮する必要って重要なんだな、って思います。
あなたが今やっている残業、楽しいですか?それとも1分1秒でも早く帰りたいですか?それを考えてからでもこの事件を考えるのは遅くないと思います。
補足(2016/10/10):このエントリーは残業を是とする目的で書いたのではないです。誰にでもやりたい仕事とやりたくない仕事があって、そういう場合同じ残業時間でも違うんだよね。と言う趣旨です。