「鈍感力」と言う言葉が流行った時代があります。「流行ってます」と書きたかったのですが、僕はこの単語を覚えていただけで、新書で「鈍感力」と言う本を渡辺淳一さんがが出したのは実に、2010年の話です。今から7年も前になってしまうので、知らない方も多いでしょう。
実は僕自身、この「鈍感力」と言う本を読んだ事がありません。でも、お酒を飲んでいて、今日、その単語を思い出した次第です。
それは、僕の42歳の誕生日を地元(矢向)の友人が祝ってくれるという話でした。
基本的に高卒で上京した僕は、田舎の友達と会社の同期位しか友人はいませんでした。ここでいう友人とは「仕事以外で休日などに一緒に遊んでくれる」人を指します。
仕事でも、お客様とかとは仕事終わりに楽しく飲んだりしていたのですけれど、やっぱり休日に仕事抜きで飲んだり遊んだりする人って限られていたんですよね。
で、矢向に引っ越してきて、地元のBARの常連になってから瞬く間に友人が増えました。これは嬉しかった。
BARをベースとして、休日のプライベートでも遊べるような友人が出来たのです。年齢層は色々ですが、それがまた嬉しい。僕を慕ってくれる人(恋愛的な意味ではなく)もできました。
その友人が僕の誕生日をBARで祝ってくれる事になりました。別にイベントを企画してもらうとかなかったのですが、マスターから「土曜日、飲みに来れますか?」とか確認されたので珍しいなと思ったんです。
そのBARは土曜日は17時からオープンするのですが、16時頃、自宅で本を読んでいたら睡魔に襲われて店についたのは18時30でした。
店にはその友人と、いつもの常連さんが集まっていました。で、シャンパンを開けてくれたり(2本も!)、近くの鉄板焼き屋からお好み焼きを2枚買ってきてくれただけではなく、その友人(BARから徒歩1分)が自宅で麻婆豆腐とペペロンチーノを作ってきてくれました。
この友人って人の経歴は実に面白くて、イタリヤの3ツ星レストランで働いていた経歴を持ちます。その時にシェフから「お前がパスタを作る時は無償で出すな。必ずお金をもらえ。」と言われていたそうなのですが、この日は特別な日って事で特別に作ってもらえました。実に美味しかったです。
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あぁ、閑話休題。「鈍感力」の話です。
そうやって僕の誕生日を祝ってもらったのですが、別に店を貸し切りにしていた訳ではないので普通に一般のお客様も来ます。
その時は一人の女性(これも常連)が来ました。
でも、その女性は我が強いと言うか「私が、私が」って大声で話す人で、他のお客様からは正直好かれていませんでした。
但し、その女性が来たからと言って場がしらけるような事はありません。常連さんなのですから。
僕たちがシャンパンを飲んでいるのを横目にその女性は一杯だけ飲んで帰って行きました。
僕が「鈍感力」を思ったのはその時です。
その時に、彼女が自分の立場を無視して「みんなシャンパン飲んでいるけれど、今日は何かあったの?」って言えば僕たちはウェルカムでシャンパンを注ぎ、一緒に食事をしたのだと思います。
でも、彼女のプライドがそれを許さなかったのか、結局、その事は触れず帰って行ったのです。もしかしたら、彼女自身、「場違い」を感じて早々と退散したのかもしれません。
そういう時って、わざと知らないふり(=鈍感力)を発揮すればもっとみんなと仲良くできたんじゃないかな?って思ったんです。
若いうちはそれでいいかもしれません。尖っているのも個性です。
でも、ある程度の年齢を重ねたら、場の雰囲気を読んで、鈍感力を出す事も大事(テクニック?)なのではないのかな?って思ったんです。せっかく常連が集まるBARなのですから、変に尖らないで、みんなと仲良くすれば結果的によりたくさんの恩恵(色々な意味で)を味わう事が出来たんだと思うんですよね。
あえて、自分の才能で攻めるのではなく、一旦受け身になる鈍感力、人生を楽しく過ごすためには必要なんじゃないかな?なんてそう思う42歳の冬でした。