ツチヤタカユキと言う人物を知っているであろうか?僕は知らなかった。”伝説のハガキ職人”らしい。ハガキ職人(ラジオ職人、メール職人)とはラジオ好きの僕がもっとも憧れる”職人”だ。オードリーのANNで噂になった”ツチヤタカユキ”さん。彼が半自伝的小説を書いた。その本の名前を『笑いのカイブツ』と言う。
主人公はお笑いに全てを捧げている。常に金欠。生活するためにバイトをしても「この時間があれば、ボケを20個作れた」と全ての時間を笑い(ボケ)に換算してしまう男。童貞。
このフィクションのような男が実在する。そう、この男は限りなくノンフィクションなのだ。
主人公の名前は『ツチヤタカユキ』と言う。著者と同じ名前だ。NHKの大喜利番組である”ケータイ大喜利”のレジェンドになったのも事実(MURASON侯爵)だしお笑い芸人の作家をやったのも事実である。
この本は時系列には進んでいない。色々な過去を行ったり来たりする。だが、それで良い。
彼の中に住む『カイブツ』。彼は”笑い”に生かされいている。
彼の本に出てくる『憧れの人』はわかる人にはわかる。同じ人見知りの人間”オードリー若林正恭”だ。オードリーのラジオを探っていくと『ツチヤタカユキ』の名前が実際に出てくる。オードリーのANNのハガキ職人なのだ。
本に書いてあることが”オードリーのラジオのエピソード”で裏付けられる。これが実に不思議な感覚であり、実に面白い。小説の体になっているが紛れもない実話のエピソードであり現実とリンクしている。
この本の中で出てくる”唯一の形に残る作品”はオードリーの”まんざいたのしい”と言うDVDである。構成にツチヤタカユキがクレジットされている。
話を戻して、彼は時間があるとお笑いのボケを考えている。一日一食であっても納得がいくまでお笑いを考えている。(生きるための)バイト中にも隠れてお笑いを考えている。
彼は人間関係が不得意である。絶望的に苦手である。今でいう所の『コミュ障』なのであろう。人と迎合する事ができない。常に「なら、俺より面白い奴を連れてこい!お前らのくだらん会話などクソや!」と言うスピリッツである。彼にとっての物差しは全て『お笑い』である。
彼はお笑いの天才なのだろう。しかし社会生活を送るには些かすぎるほど不器用である。”ディレクターの懐に入る”。いやいやだろうがそう言う行為をすれば直ぐに売れっ子作家になれるだろう。しかし彼にとってそれは邪道なのだ。お笑い一本で売れなければダメなのだ。オードリーの誘いも断るほど不器用なのだ。
実に不器用である。
僕が本の中で印象的に思ったセリフがある。友人であるピンクがツチヤタカユキに対して言った言葉だ。
「(前略)ええか?おまえはな、その退屈を倒してんねん。俺は今まで、退屈を倒すために、600万借金したり、刑務所入ったりしたけど、おまえには、お笑いがあるから、タダで退屈を倒せとんねん。(後略)」ー「笑いのカイブツ」87P
全くである。世の中には退屈が多い。仕事に没頭しているサラリーマンほど休日の使い方が下手だと聞く。無趣味な人が趣味を見つけても続ける事はなかなか難しい。人生をかけてまで打ち込める事ってのは思ったよりも少ない。それを見つけて没頭できている人は評価されようがされまいが幸せなのである。
彼は笑いに全てを捧げてきたし今現在も捧げているであろう。いつ死んでも良い。そう言う覚悟で笑いをやっている。
現在、ツチヤタカユキは”銀シャリ”の座付き作家となっているようだ。本物のお笑い芸人(漫才師)の作品を書く事で彼のカルマは浄化されているのだろうか?
彼は吉本に所属していたこともある。芸人さんは尊敬していたがスタッフはクソだったようだ(彼の物差しで測って)。やはり不器用なのだろう。
大抵の天才は初期衝動をかき消され社会と迎合して凡才となっていく。オードリーの若林をしても芸能界で生きるために「人間関係糞食らえ」を克服している。
ツチヤタカユキは初期衝動のまま生きている。今でも「人間関係糞食らえ」であろう。だから表舞台には出てきにくい。飯は食えているのだろうか?
彼が表舞台に出てくるとき、それは『ツチヤタカユキが丸くなった』か『笑いの世界が変わった』時だろう。
僕は密かにその時を期待しながら生きている。