人間50年と詠ったのは織田信長だっただろうか?
今の人生、50歳なんてまだ若造である。年金も貰えない。必死に残業して働かないといけない世代である。
今、僕は人生を80年と考えている。大病にかからなければ80歳までは生きれる現代だ。
しかし、今の僕は42歳である。
永遠と言われた人生も折り返し地点だ。
最近は色々と思考が変わってきている。
自分の成長ももちろんなのだが、やはり後継者育成に力が湧く。
また、行きつけのBARでも、説教くさいかもしれないが「何も考えないで年齢を重ねてきた人」に対しては一言言いたくなってしまう。これは老人の特権だ。無駄に重みが違う。
同い年同士でそういう話するともしかしたら喧嘩になってしまうだろう。
最近、家に帰ってきてビールを飲んでYoutubeを見る。テレビはほとんど見なくなってしまった。
寝る前はお笑いラジオを流しながら寝るが、目で見るぶんには音楽(ライブ映像)ばかり聴いているような気がする。お笑いを動画込みで見るのは僕にはいささか違うみたいだ。どんな形にせよ話術が欲しい。話術は衰えさせたくはない。
聴く音楽は大抵、高校時代から20代前半の曲。昔を思い出しながら聞く感じが多い。やはり音楽をやる人間として1番影響を受けるのはこの世代になってしまいがちだ。多くの人もそうだと思う。
僕の頃の音楽はコンピュータミュージックとかも無くで本当に生の音だった。それが良かったと思う。今のダンスミュージックなどを聞くと演奏している場面がないので興味がない。ちなみにダンス自体にも興味はない。
軽く酒を飲んでその頃の曲を聴くと、その時代背景とともに風の匂いがする。風の匂いなんだ。空気感と言った方が良いかもしれない。
蒸し暑い夏、少し涼しくなった秋、雪が降り始める冬。その時々の風が頬を伝う。
コレばっかりは流行の音楽を聴いてた人にはわからない感覚なのかもしれない。
あと、性欲はどんどん低下していく。
中高生の頃、エロい写真1枚(動画なんてもちろんない)で大満足していても年齢を重ねるとその、欲が落ちていく。
種保存の法則が人間の本能に備わっているので、僕らの年代で子供がいないのは異端児、簡単に言えば出来損ないである。
しかし、現代医学に頼ってまで性欲(精力増強剤)を高めようとは思わない。相手がいないからだ。こう言うのは愛する相手がいて初めて成立するものだ。風俗に行くためではない。ちなみにいま現在僕はEDではない。まだなんとか大丈夫である。
年はとったが”若さが羨ましい”とは別に思わない。一度きりの人生だ。僕だって若いころは散々やってきた。
なので、これからの人生を生きなければいけない。これは宿命だ。
話はすこし変わるが、三国志演義の中に、”黄忠”と言う武将が出てくる。
60歳を過ぎてもなお現役で、最前線で戦う武将だ。後に五虎将と呼ばれる称号を得ている。
三国志演義の中では比較的有名な、”関羽”と言う武将が同じ五虎将である黄忠の事を「老兵め。」と読んでいる。
老兵は死なずただ消え去るのみ
などと言う言葉があるが、まだまだ僕には当てはまらない。
僕は、これからの人生、関羽みたいな優秀な人間に「老兵」と呼ばれながら戦って生きたいのだ。