「たま」と言うバンドがいました。4人組です。
一見色物キャラっぽくて見えて「『さよなら人類』の一発屋」と思われていると思いますが、実に素晴らしい曲を独自の演奏技術で奏でていて、一部では「日本のビートルズ」とも言われています。
昭和最後のルポライター竹中労さんの最後の密着作品が「たま」だったので、文学性もあるのかもしれませんね。(竹中労さんも「たまは日本のビートルズだ」と言っていました)
4人が作曲して、4人とも歌うと言うスタイルはビートルズっぽいですね。
僕は「たま」が好きだったので、”日本のビートルズ”と呼ばれる事に「そんな大げさな。」なんて気持ちにはなりません。「確かに。」ってな感じです。でも、大多数の人は「そんなバカな」と思っていたし、解散した今では存在も知らない人がほとんどです。
たまの4人は4人ともメロディーメーカーなのですが、一般的な人気を持っていたのは、知久さんと柳原さんで、その関係はまさにビートルズで言う所のジョン・レノンとポール・マッカートニーだったと思います。二人のハーモニーも物凄くてですね、本当に聞いてて気持ちよかったです。
そんななか、柳原さんが脱退しました。当時、ファンは非常にショックだったのでは無いでしょうか?僕もショックでした。
柳原脱退の理由は「たまらしい曲」を作るのに疲れたのではないか?と言われています。
しかし、僕が思う本当の理由は「エレキギターが使いたかった!」のではないかと思うんです。たまの音楽性にはエレキギターは合わないのはファンならわかると思います。
柳原さんはソロデビュー後、積極的にエレキギターを使ってます。でも、サポートメンバーには恵まれてはいなかったのでは?と思います。たまのメンバーが素晴らしすぎたからです。
時々、思い返しながら、柳原さんはロックがやりたくなったのでは?なんて思うんです。知久さんも、滝本さんも在籍中にソロアルバムを出しています。「(ソロアルバムで)割り切れば良いのに」と思うと思うんですが、そこら辺が不器用だったのかも知れませんね。(メンバーのインタビューからも読み取れます)ちなみに滝本さんと知久さんのソロアルバムは「たま」の楽曲でも通用するような世界観ですが柳原さんのソロはあまりにも違いすぎたんですよね。
やっぱり自分の思っている音楽と当時のパブリックイメージの”たま”に差が出過ぎていたんでしょう。
3人になった”たま”も活動を続けますが、やはり柳原さんの抜けた穴は大きかった。
勿論、人気はあったのですが、やはり柳原さん目当てのファンの足は遠のき、結局解散してしまいました。また3人になることにより楽器が一つ減り音楽の幅も狭くなったのでしょう。非常に残念ですが、これでよかったんだと思います。
いろんなバンドを見ているとライブとかで「次は懐かしい曲やりますっー!ヨロシクー!」とかやっているんですけれど、そういう意味では”たま”は最初から完成されていました。うがった言い方をすると、デビューしてからどんどんと退化していった感じです。
ファンに恵まれなかったと言うのもあるのでしょうね。当時の”たま”は週刊少年サンデーの表紙になるくらいアイドル視されていたのです。本人たちもうんざりだったと思います。そうすると、勘違いした”痛い”ファンが現れてくるのは今の音楽シーンでも一緒ですね。
ただ、4名ともまだご存命。また、吉祥寺の曼荼羅あたりでひっそりとライブをやってくれないかな?なんて思ったりしております。