亀田誠治はプロデューサーでアレンジャーだ。勿論、ミュージシャンなので、作詞家でもあり作曲家でもある。
昔からプロデューサーと言う職業はあった。目立つ所では、小室哲哉、小林武史など、同業は実に多かった。
もっと昔に遡れば、佐久間一行と言う伝説のプロデューサーがいた。
でも、彼らはサポートするミュージシャンの範囲が狭かった。(小室哲哉は小室ファミリー、小林武史はミスチル、佐久間一行はユニコーン等)
なので、曲を聴くと「あぁ、誰のアレンジの曲だなぁ」って音楽に精通している人間には分かったものだ。
小室哲哉、小林武史が一線を去った後、誰もがプロデューサー、アレンジャーを探していた。自分の曲をテレビに載せたいからだ。
その時に誰でも亀田誠治に頼った。そして、(残念なことに)それらが売れてしまった。
結果、ある時期のJ-POPは亀田誠治色に埋もれてしまった。思い出したくもない時代。
亀田誠治はヒットの法則を知っている、いや、知っていた。ただ、それを乱用しすぎたのだ。どんなプロデューサーだってそうだ。彼らは特有の”スパイス”(=秘伝の調味料)を持っている。
ただ、”スパイスの多用”が味をぼやけてしまうのも事実なのだ。
一時期はどんな曲を聴いてもいわゆる「亀田節」のフィルターが掛かった曲を聴いて居たのだ。僕はそんなJ-POP(とあえて書く)には辟易していた。
だが、今は(僕が感じる限り2015年位を境目に)時代が変わった。
今は、最初の8小節にテクニックの全てを入れ込み、次の8小節でダンサブルなドラムに乗ってギターリフが流れる曲調、そして歌が始まるとシンプルにリズム隊。そう言う音楽になってしまった。これもこれとて良くはない。新しいバンドの曲を聴くたびに幻滅してしまう自分がいる。年齢なのかも知れない。
カラスは真っ白も、ポルカドットスティングレイも遡ればゲスの極み乙女。も、フォーマットは一緒だ。2015-2018年位のトレンドなのだろう。
僕が亀田誠治のプロデュースワークとして認めているのは椎名林檎のファーストアルバム「無罪モラトリアム」だけである。本当にその1枚だけ。
しかし、それがなければ現在の椎名林檎が無かったのも事実。椎名林檎の多様な音楽性を世の中に広めた貢献は大きい。
だが、今、彼女の率いるバンドには亀田誠治は参加していない。
確かに、椎名林檎のパーマネントバンド”東京事変”には彼の名曲も多かった。でも、全て”優等生”なのだ。平均点は確実に取るけれど、90点超えはない。そう”天才”では無いのだ。(作曲をしている人間には次の展開が読めてしまうような曲作りであった)
ミスチルも小林武史からの卒業を果たした。
椎名林檎もきっとそう言う時期なのだろう。
ある意味、彼らの職業は報われない。それは事実である。どれだけ自分のノウハウをつぎ込んでも「編曲」と言う括りで纏められてしまう。そして、ノウハウの技術を伝授した後に去ってしまう。
今、亀田誠治プロデュースのバンドはどれだけあるだろうか?
悲しくて調べる気にもならない。
ただ、ビートルズにジョージ・マーティンが居たように、プロデューサーは必要なのだ。
プロデューサー・アレンジャーと言う職業は無くならないだろう。(もしかしたら原曲をベースにAIが編曲してくれる時代が来るかも知れないが)
ただ、”スパイス”の安売りはしないでほしい。
その昔、”スパイス”は金銀と同じ価値がったと言う。大航海時代の話だ。
今ではスーパーに行けば、色々なスパイスが並んでいる。誰でも安価に変える時代だ。
”スパイス”のインフレは音楽業界だけでも、起こしてほしくは無いと今でも願っている。