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「意識高い系」残念な人

意識高い系とか、最近よく使われてる言葉ですよね。この言葉、いつ頃から流行りだしたのかしらん?気がつけば「意識高い系はスタバでMac」みたいな人がそういう風に呼ばれていますね。(余談ですが、スタバでバイトをしているインターン生は「コーヒー1杯で粘られて迷惑」と言っておりました)

僕は意識して新しい言葉とかを使わないですけど、そう言う人達って新しい言葉とかを使いたがりますね。まぁ、僕も聞いている分には意味はわかってます。そういう人には話を合わせたりしますけれどね。

Ishiki takai

色々と自己啓発をしたり、作業に対する意識が高かったり…カバンとかにこだわったり…

でも、上辺だけ「意識高い系」の人がいるのも事実。僕は意識高い系残念と呼んでいます。

意識が高い事はいい事です。ここは否定はしません。でも、自分の実力がそれに伴って無いんですよね。頑張れば届くと言うレベルでは無く、意識と実力の乖離が激しい人です。

話してると凄いカッコいいですけど、作業はミスが多かったり、と、ポカが目立つとせっかくの「意識高い」が空虚なものに思えてきます。

本来するべき仕事があるのに、会社がお金を出してくれる「意識高い系セミナー」(変なやつではないです「イノベーションに対する」とか「ライフサイクルの」とかそういう奴です)に参加したり。

でも、正直みていて残念なんですよね。さらにそのまま年齢を重ねてしまうと尚更。

社会に出てからは、最初は実直に働いた方が良いと思います。意識高いけれど、ちょっと表には出さない方が良いのでは?って言う意見です。ある程度実績を作ってからでも意識高いのを表に出すのは遅くありません。

大学生とかも、まず最低限は勉強しましょうよ。お金払って大学に行っているのだから。その中で日々のルーチンの合間とか長期の休みで意識高い行動をすれば良いと思うんですよね。
起業するのもいいと思いますが、並行してきちんと大学は卒業しておいた方が良いと思います。

意識高い行動ばかりしていて実態が伴っていない人は薄っぺらく見えます。「最近、海外ではこう言うサービスが流行っている」とかなんか流行に乗っているだけのような気がして。

僕もアンテナは張っていますし、流行はチェックしています。でもすぐにそれには乗りません。流行っているから乗るってのがカッコ悪いと言うのが僕の美学なんですよね。ある程度その流行を理解してから参加する形です。
Webサービスとかはアーリーアダプターの方ですが、それは「とりあえずアカウント作っておこう」って位です。有料のサービスは基本的に利用しません。

意識高く流行に乗って薄っぺらい人って10年後には何が残っているんでしょうね?
「将来を考えて朝早めに会社の近くの喫茶店で簿記2級の勉強をしています」とか「公認会計士になるためのプランを立ててます」とかなら素晴らしいし、その勉強は役に立つと思うんですけれど、そう言うのなしに、「Facebookでー」とかしか言ってない人、何歳でもやりたい事はできますが、その為には下地(基礎)が重要なんですよ、って事です。

少々説教くさくなってしまいましたね。
では。

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