「何を言うかではなくて、誰が言うか」そう言う言葉があります。結構な場面で使われますね。
発言の内容は一緒なのだから「何を言うか」が大事だと思ってました。僕には何もないからきっとそうだと思ってたんですよね。そうだと信じたかった。
でも、やっぱり、「誰が言うか」なんですよね。タイミングも含め。
例えば、同じ服でも、おしゃれな人が着ているのと、いつもダサい人が着ているのでは、見え方が変わってきますよね、多分、それと一緒なんだと思います。
そう言えば昔、戦略会議を開いたときに末席に参加してたんですけれど技術の話になって、事業部長から「波秋、どうなんだ?これは大丈夫なのか?」と聞かれて、僕は自信があったので「はい、大丈夫です!」と発言したら「波秋が言うのなら大丈夫だな。」と会議が通ったことがありました。
僕はただの係長くらいの役職でしたが、技術は買われてたんですね、多分、あの会議の参加者の中で1番の技術者だったと思います。(管理職ばかりだったので)
なので、”僕が”言ったから認められたんだろうな。と思い出しました。営業が言っても信じてもらえなかったと思います。
逆に、お金の話にだったら僕が言っても通らなかったでしょうね。そう言うものなのでしょう。
確かに僕の仕事の世界でも、見積もりが甘い人の「1ヶ月で出来ます。」と、ちゃんと見積もって経験が多い人の「1ヶ月で出来ます。」だと後者を信じちゃいますよね。そりゃそうだ。
やっぱり、そこの背景にあるのは信頼(信用)と実績です。
ちなみに「偉い人が言うか」と「誰が言うか」は違います。まぁ、その通りの時も多々あると思いますが、「偉い」から絶対ではないんですよね。これも「誰が」言うかにかかってくるんですけれど、やっぱり場面とかタイミングで変わってきますね。
偉い人がなんと言おうとその時点では信じないけれど、本当に信頼する人が「俺もその意見に賛成だな」って言ってくれればその時点で信じてしまうような気がします。
「だから言っただろ!」と言われそうですけれど、やっぱりその人が賛成しないとこちらも賛成できなかったとか…。
もちろん、「何を言うか」も大事なんですけれど、よく考えたらこれって薄っぺらい人でも言えるんですよね。
「田舎に引っ越して村おこししたいですねぇ。例えば、お金をかけなくてもランドマーク的なものを作れば観光名所になるはず」とかTwitterとかでそれっぽく言っても(イケダハヤト的な人)「誰が金出すの?何を作るの?本当に人来るの?」とか思っちゃいますけれど、実際に何も言わずに田舎に引っ越して私財を投げ打っている人が「この村にもっと人が着て村おこしに繋がれば良い」とか言えばなんか納得してしまうんですよね。やっぱり、実際に行動を起こしている人の言葉は重みが違うんですよ。
多分、「誰が」って言うのは、実際の行動とか、その方面での信頼(信用)・実績がものを言うんだと思います。
だから、表面ズラでかっこいい事はなんぼでも言えるので、やっぱり「何を言うか」じゃなくて「誰が言うか」なんだよなぁ、って言う結論に行き着くんだなぁって。
僕も、もっともっと技術を高めて、広めて、もっと「波秋が言うんなら」って思ってもらえるようになりたいと思います。