最近、ツイッターなどで、駅のホームなどで「わざと」ぶつかってくる人の動画が上がっています。
もちろん、東京の駅は乗降者数がものすごく多いので、「不意に」ぶつかる事はあります。それは防ぎようが無いですし自分のぶつかる側に結果的になるかもしれません。
僕も昔、仕事でむしゃくしゃしていた時に「誰でも良いから喧嘩したい」って気分になったことがあります(喧嘩むちゃくちゃ弱いですけど)。そう言う時にぶつかりたくなるんですよね、喧嘩を仕掛けたい訳です。
なので、今回の一連の流れも「力を持て余した輩が喧嘩相手を探している」と思ってたんですよ。なので、「いいじゃねぇか。俺にぶつかってきてくんないかな?喧嘩買ってやるぜ」って人は結構いるんじゃないかな?と思ってたりします。僕もそうです。
ただ、どうも最近流行っている一連の人は、「絶対弱者」に対してしかぶつからないそうです。女性や子供。もし向こうが歯向かってきても勝てる相手。そう言う人にしかぶつからない。最悪ですね。喧嘩に美學があるとすれば、美學が無いです。
痴漢行為とかもそうなのでは無いでしょうか?「相手に勝てる」と言うか「きっと泣き寝入りするだろう」と言う「絶対弱者」に対して痴漢行為をする。…最低の人間ですね。
日大タックル問題もそうです。アメフトはぶつかり合うスポーツですが、それはボールを持っている人に対してです。ボールのパスが終わって油断した所に後ろからタックルをかけるのはルール違反以前に、スポーツマンシップに反する行為になりますね。(この件に関しては、監督・コーチの仕業だと思っています)
昔の学生には喧嘩の美学がありました。カバンの持ち手に赤テープを巻けば「喧嘩売ります」、白テープを巻けば「喧嘩買います」って言うものでした。明らかに喧嘩したいと言う自己主張をしていたんです。なのでこれらはテープを巻いたもの同士での喧嘩でした。
「絶対弱者」に対して、故意にぶつかる、痴漢する、文句を言う。現代のストレス発散法なのでしょうか?
僕は、仕事で後輩を育てる時に「文句は下にいうな、上に言え」と伝えています。部下などの弱者をいじめても何も生まれません。唯一生まれるとしたら、”虚無”です。
ストレスを発散しにくい世の中になっているとは思います。もしくは「正しいストレスの発散の仕方」を先輩、上司が正しく教えていないのかもしれません。誰にでもストレスはたまるものです。犯罪などにならないように、合法に時にはお金を使ってでもストレスの発散の方法を教える。
それも、僕たち大人の役目なのでは無いでしょうか?
そんな事を思ったりしています。