人生生きてて43年になります。初老のおっさんです。
でも、生きてます。
ギリギリですが生きてます。
最近、ちょっとわかった事があります。
それは『負ける事の大事さ』です。
僕は「謝ったら死ぬマン」ではないので、年上年下関係なく、議論して自分が間違っていると分かったらすぐに謝ります。「え?さっきまでそんなに我を張ってたのにあっけなく謝るの?」なんてたまに言われることがありますが、自分が納得するまで理解して、そのうえで自分が間違っているのなら、そりゃー謝ります。
まぁ、こんなのは勝ち負けには入らないと思います。
そもそも勝ち負けなんてのは個人の主観でしか無いのですから。
人生では他人との勝ち負け以外にも「負け」を痛感する場面があります。
例えば、お金がない(本当に生活費も無い)などの経済的な負け(負け組)もあるのです。勝者は居ないかもしれませんが、自分の思ってた人生と違うと認識した上で「(自分の理想に)負けた…」なる事もあります。(ここら辺はアドラー心理学の劣等コンプレックスに通じると思います)
人は、負けを体験して強くなると僕は思ってます。
また、負ける事で見えてくる世界も違うし、何よりも「弱者の気持ち」が理解できるからです。
負けて初めてわかることがある。
『弱者の理論』に立って、何が辛いのか、なぜできないのか?ってのを身をもって体験することだってできるはずです。
そして、自分主体のイケイケの時に「なんでお前はできないんだ!」と責めるより、『弱者の理論』に立って理解する事が出来ると思います。そう言う人を僕は『深い人』だと思っています。
勝ち続けてる人も心のどこかで「負け(失敗)」を恐れているのではないでしょうか?もしも意識していないとしても、勝ちが続けば続くほど相対的に負けの大きさ(ダメージ)も大きくなってくるようにできています。
せこせこと、へらへらとその場をただ逃げるように過ごすのではなく、僕は早めに『負け』を体験すべきだと思ってます。
同期に出世を抜かされた、でもよいと思います。負けてからハンドルを切れるコースも見えてくるのだと思っています。
「プレゼンで競合他社に負けた!」と言うのは会社(チーム)で受ける『負け』ですから、今回の反省と次回への強力なモチベーションを共有する事もできるでしょう。
例えばサラリーマンで勝ち続けている人は定年後に燃え尽き症候群になりやすいとも言われています。仕事で成功し続けてきた人生が、仕事が無くなった後に一気にモチベーションを失うと言う理論です。
ただ、負けていれば「(今勤めてる)仕事以外の生き方」を手にする可能性だってあると思ってます。
なので、決して投げ出してはいけないんです。
とりあえず1日や、2日どん底まで落ち込んで、ヤケ酒の一杯でも飲んで寝れば良いんです。
僕はそう言う時は変にグレないで、今は辛くても出来る事をやるだけ、だと思っていますし、ひねくれて仕事の手を抜くような事もしないです。ただ、今できる精一杯をするだけ。
もちろん、結果はすぐにはついてこないと思います。一ヶ月かもしれないし、半年かもしれないし、一年かもしれない。もしかしたらそれ以上かもしれない。
でも、我慢すればいつかはどんな形でかはわからないがきっといい事もある。
きっと、そう言う風に出来てるんだと思います。そうしないと、人生、一回の負けだけで人生を終えてしまう事になりますから。
アメリカのトランプ大統領だって、決して不動産王として輝かしい成果を出していた訳ではなく実際に4回の破産を経験しています。
「失敗したら、次はうまくやろう」その位の志(こころざし)が必要だと思っています。
僕はそう信じて生きてますし、ここ数年それで何とかなってます。
Life goes on 〜 それでも人生は続くのです。
昔の失敗や負けを背負って生きて行くか、それを受け入れて自分を見直して生きるか、後者の生き方の方がさっぱりしていて僕は良いと思っています。
いつまでも、過去の成功や過去の裏切りや失敗に囚われていても、他人から見たら「で?」で終わります。他人はそこまで自分に優しくはありません。
せっかく生きるなら、恥をかいても、生き抜いて、そして人生を全うしようではありませんか!
では。