現在、43歳。2019年は44歳になります。
2019年ですね。いやー、今年は元号も変わり、ますます”昭和生まれ”と言う言葉が生まれてくるのを日々恐れています。
…と言うのは嘘で、まぁ日々ぼやーんと生きております。「1秒1秒を大切に!」って言う考えも大事ですが、生きているだけでいいんじゃないかなぁなんて思ってしまいます。
僕はiPhoneを手に入れてから、ヘビーに使っています。見ているのは5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)です。
Twitterが始まってからはTwitterにへばりつき、まとめサイトを見る日々。
独身男性のお金がかからない趣味です。悲しいと思いたければ思うがいいさ!
って事で、まとめサイトを見ていると「5億円or今の記憶を持ったまま小学1年生に戻る」とか言うスレッドがあります。そう言うのを見るたびに「俺は昔には戻りたくないなぁ」と思うんですよね。
人生をやり直せるなんて素晴らしいじゃないですか!あの若い肉体が戻ってくるんですよ!
って意見もあると思うんですけれど、僕は簡単に言うと「もう一度何十年も生きるのって面倒だ」と思っちゃうんですよね。
僕の人生は決して順風満帆ではありません。どちらかと言うと失敗している方です。親父はアル中ですし、仕事も頑張り盛りにパワハラでメンタルをやられてしまいました。でもね、今、「それでもいいんじゃないかな?」って思える自分がいるんですよね。
それらをひっくるめて今の僕が今生きていると言うか。
人生とは偶然の連続です、常に決断の人生の結果、今があるんですよね。
他のエントリーにも書いたんですけれど、「IFって考えない」ようにしているんですよ。「あの時ああしていれば…」と想像すると目の前が真っ暗になるように僕の脳がプログラミングされてるんですよ。
「どうせ、あの時、ああいう選択をしていれば今頃俺は死んでいる」って言う謎の思想です。
今僕が生きているのは偶然の決断の結果です。パラレルワールドって言うんですかね、選択肢の違う僕がどこかの時代までは生きていたんでしょうけれどみんな死んでる。ってのが僕の脳みその考え方です。
仏教の考えとかに、生きている時は修行の時期、死んで成仏してからの為に現世で徳を積んでいるって言うのがありますよね。業(カルマ)って奴です。
僕は無宗教なんですけれど、歳をとるたびにこう言う考え方が強くなってきているんですよね。
身体だってボロが出てきますし、酒にも弱くなります。でも、そんな自分の身体でも「これでもか!」って生きている感じがします。時代に自分を残す作業をしているような気がします。
別に有名人になってお金持ちになりたい!って言う目標では無いんですけれど、何か生きた証を残しながら時代にしがみついて人生を全うしたい。そう言う気持ちでいっぱいなんですよね。
なんかわからないけれど、生きていますからね。仕事もあるし、まぁ無くなってもなんとかなるような技術は身につきましたから。
2019年。
どうなるのかは、わかりません。
ちなみに新年早々(1/3)38℃以上の熱を出して寝込んでました。でも、翌日には平熱に下がるくらいの身体は持っているみたいです。
あれよあれよと歯車が回りそうならそれに乗っても良いかなと思っている年です。”慎重かつ大胆に。”なんて言うキャッチコピーがあったかもしれませんが、2018年に増してその傾向が強くなっている感じがしております。
僕は子供の頃から、「あんたは大器晩成だから」と言われて育ってきました。
「いつかは花が咲く」なんて思いながら、あっという間に44歳。そろそろアスファルトを突き破って太陽の光で燦々と輝くのかもしれません。
なーんて思っております。
では。