何が起こるかわからないから旅なんだ
“水曜どうでしょう”と言う番組のファンであればきっと記憶にある言葉だ。この言葉自体が面白いかどうかではない。”水曜どうでしょう”とはそういう番組だった。
勘違いしてほしくは無いのは「旅は何が起こるかわからない」では無い。主語と目的語が逆になっている点だ。
水曜どうでしょうの初期の企画に”サイコロの旅”と言うのがあった。サイコロを振って行き先(移動先だけではなく移動手段までその場で!)を決めると言う企画。スタッフと演者全員含め4人と言う少数先鋭だからできる企画。
何が起こるかはわからない。
“旅”と言うのは基本的に目的地や目的がある。その為にプランを練って楽しむものだ。しかし、道中、何が起こるかはわからない。しかしそれはあくまでもイレギュラー要素である。
何が起こるかわからないから旅なんだ
そう考えると、がむしゃらに走ってきて、気が付いた自分の道筋の工程も立派な”旅”なのではないだろうか?
「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」
これは、高村光太郎と言う詩人の『道程』と言う詩の一説だ。
僕はこれを一時期誤解していた時期がある。それはこれが「自分はパイオニアだ。先駆者だ。僕が開拓し、道を作り後から来る人を導く」と言う意味でとらえていた時期だ。
恐らく、この言葉、最初の「何が起こるかわからないから旅なんだ」の”旅”を”人生”に置き換えたものだと今は思う。
僕は半分誤解、半分正解だと今では思っている。
人生も同じようなものだ。人生に決まった目的や目的地は明確では無いと思う。そう言う目的があったら達成した後に、何が残るのだろう?僕に至ってはそもそも何の為に生きているのかもわからない。
前にレールは無い。もしかしたら自分は砂利道を歩いているかもしれないし、整備されたコンクリートの道を歩んでいるかもしれない。
ただ、自分の生きてきた証は残る。
人生は何が起こるかわからない
ではなく
何が起こるかわからないのが人生
なんだってそう思った。
だから、決して上手く行くわけではない、失敗だって迂回だって遠回りだってするだろうさ。逆にとんとん拍子に行きすぎて怖いくらいの事もあるだろう。
サイコロを1個ふって6の目が出る確率、僕らの人生は一分一秒そんな確率の結果で構成されている。
だから、何が起きても変じゃないし、人生なんて確率論の末の人生。そういう人生だったと後悔しないように行きたいと思う。
過去は改変できない。自分が歩んできた道も改変できない。旅のルートも一緒。
振り返る事と現実を受け止める事しかできない。
ただ、それが人間の一つの”人生の楽しみ”なのではないか?と思ったりもする。
余談だが、これをわかりやすく若者に伝えようとしているのが、日本の商業音楽である。しかし、どれだけ「人生のレールはない、君は君のままで」と歌っても、叫んでも、まだ自分で歩みだしていない若者にはそれがわからない。小学生の頃書かされた「将来の夢」は高校に入る頃には忘れているだろう。
その意味が分かるのは早くても初老、遅くて晩年。まったく皮肉なものだ。
それも、人生が上手くできている一つのスパイスなのかな?などと思ってみる。