結構前の話題になりますが”めちゃイケ”と言うフジテレビの番組に批判が殺到した時に出演者である岡村隆史さんがラジオで「嫌なら見るな」と言う旨の発言をしました。
これが色々と波紋を呼びましたね。簡単に言うと炎上です。こんがり燃えました。流れ的には「タレント(芸人)のくせに何様のつもりだ」「言われなくてもフジテレビは見ないが、よけい見る気が無くなった」って風潮ですね。
チャンネルを合わせれば映る(受動的な)地上波とは違い、ネットの番組やインターネットのブログとかは受動的ではなくて、能動的に観に行く必要があります。
つまり、テレビはチャンネルを合わせていたら偶然不快に思わされる番組や報道が流れてくる事は否めませんが、ネットの場合は結局はケチをつけるために見る(見に行く)訳なんですよね。
毎日ブログが炎上するでお馴染みの辻希美さんですが、アンチは叩きたいためにブログにアクセスする訳で結果的に辻希美さんのブログのアクセス数が増えると言う本末転倒な現象が起きる事態。(ネットでは「辻希美さんが地球を救った時にアンチはどんな反応するか?」と言う大喜利が始まる始末)
好きの反対は無関心
なんですよ。マザーテレサの言葉です。「嫌い」や「憎しみ」では無いんです。嫌いってのはやっぱり気になっている証拠なんですよね。好きでも嫌いでもその人の事が気になるって点は変わらないんですよ。
叩きたいからと言う理由で能動的に見て(見に行って)「けしからん!」と発信する人に対しては作者、演者の側としては、まさに「嫌なら見るな」状態なんですよね。(って言うか「文句言うなら頼むから見に来ないでくれ。そしていちいち文句を言わないでくれって感じでしょうね)
僕がイケダハヤトさんやはあちゅうさんをチェックしているのはなんだかんだ言って”興味がある”ってのがあるんでしょうね。
(イケダハヤトさんに関しては彼の影響力が未来ある若者の人生を壊しかねないと言う啓蒙も含めてです。はあちゅうさんは自分の人生を切り売りするってすごいなぁと言う意味でです)
例えば最近、Twitter上でホリエモンのフォローを辞めました。
昔は何だかんだ気になってたのでツイッターでフォローしていたんです。でもある日「この人の情報もう要らないな、うざい」と純粋に思ったんですよね。
まさに無関心モード。嫌いになる必要もないし、そんな労力をホリエモンに割きたくは無いわけです。なので、毎日のように流れてくる「”多動力”を読んで目からウロコ!」みたいなホリエモンの宣伝リツイートも流れてこなくなったので、結果的に精神状態の安定にもつながっていたりもします。
例えば、Twitterとかで自分のツイートにいちいちイチャモンつけてくる知らない人がいたとしたら…(そういう人たちを粘着質アンチと呼んだりしています)
まぁ、Twitterにはブロックって機能がありますけど、本心は「いやいや、文句しか言わないなら俺をフォローから外してくれよ」的な気持ちになるのではないでしょうか??
「アンチは有名税」と言う意見には僕も賛成です。どこの世界にも人気者には一定数のアンチが付くものです。人気女優さんだって、男性俳優だったり、ジャニーズだったりしても匿名掲示板にはちゃーんとアンチスレが立っているわけなんですよ。
僕はチキンな人間なので、あまりアンチを生むような発言はしていませんし、そもそもフォロワー数が少ないので、影響力がある人間ではありません。
例えば、先ほどのツイッターであれば、自分に否定的な意見をぶつけてくる人に対してブロックを行い、自分に好意的な意見だけのタイムラインを作ることが出来ます。本人はそれで満足をするかもしれませんが、それって、周りがイエスマンだらけの「裸の王様」状態なのではないでしょうか?
周りがイエスマンだらけになると、自分の意見に反論する人がいない=自分の意見が正しいと歪曲してしまう傾向にありますので、極度にブロックばかりをする事は個人的にはあまりよくないのでは?と思います。
あと、極論すると、アンチがゼロの世界ってつまり支援者もゼロなんですよ。自分に影響力がある人は、勿論最初は支援者の数の方が圧倒的に多いかもしれませんが、途中からアンチが発生するのは必然です。
なので、アンチがわかない状態と言うのはあまり共感者(支持者)がいない=影響度が無いと言う事になると思うんですよね。
やはり、作者、演者などの表現者として一番怖いのは「誰からも何も言われない。話題にもならない」事ではないでしょうか?
好きの反対は無関心
好きじゃ無くなったらその人の事に時間を割くのは無駄と思うんです。
気がつけば「あの人は今」状態。これが一番悲しいのでは無いでしょうかね?
岡村さんもラジオではまだ人気はありますが、テレビではめっきりと見なくなってしまったような気がします…。
今日はここまで。