僕は人見知りしません。びっくりするほど初対面の人と仲良く出来ます。社内の人はもちろん、お客さんでも名前さえ覚えれば全然人見知りせずに話せます。
そんな僕も高校時代までは人見知りでした。なぜ、僕が人見知りを克服できたかを書いてみようと思います。
そもそも、僕は一人っ子だったせいか、おじいちゃん、おばあちゃん子だったせいか、あまり外との接触をはかっていませんでした。近隣の幼なじみは友達でしたけれどね。
例外なく、小学生位は人見知りなく生きれるものです。同じ学区ですからね。グラウンドで遊んだり転校していく友達を悲しんだものです。
そんな私も、中学、高校と進むにつれ人見知りが激しくなってまいります。まぁ、他人と替わらず、自我を形成し、他人の存在を意識する頃ですね。
もう、高校になったら、いろんな場所から学校に来ているので、同じ学区と言う訳には生きません。別のクラスに幼なじみは居ましたが、今のクラスに友達はいませんでした。
僕が毎日、ネクラに生きていた時ですかね、クラスのあるグループが「あいつ暗いけれど仲間にいれようぜ。」ってな話になりました。多分、席が近かったからだと思います。
その中で、グループの輪に入れてくれましてね。嬉しかったですよ。その中の一人がね、遠い場所からの通学になるので下宿していたんですよ。そいつの家に入り浸りましてね、色んな事を教えてもらった訳です。今でも、人生の同僚であり、人生の先輩(先駆者?)であります。
その内に、僕に彼女が出来ましてね。まぁ、奇跡です。「モテキ」って奴だったんでしょうね。性に敏感な高校生に彼女が出来たのです。そりゃ、あえない時は電話しますよね。
んで、携帯電話などない時代、固定電話から遠距離(あ、遠距離恋愛でした。)に電話すると通話料ってのが高くなる訳です。今とは違いますね。
片親だった母親から、「あんた電話代高いね。」と言われた訳です。彼女が出来て有頂天な僕は「バイトします!」と二言返事です。
結局、高校時代一番仲の良かった下宿していた奴と一緒の店で別のシフトでバイトに入ることになりました。このバイトってのがね、「定食屋の出前を運ぶ」バイトだったんです。まかないが出ましてね、下宿していた友達はそれも嬉しかったと思います。
僕がバイトしていたのは、所謂「街の定食屋さん」でしてね。原チャリなどの範囲では出前をしないけれど歩ける範囲は全部出前していたんですよ。
バイトに入って分かったのですが、バイト先ってのも色々とありましてね、一般の家はもちろん、病院の病室や薬局、医局(先生たちの待合室ですね)、ナースセンターなどもありました。風変わりなところで産婦人科ってのがありまして、これは出産を控えたお嫁さんの出産を待っている旦那さんからの出前で、そりゃー気前が良かった記憶があります。
逆に辛かったのは雀荘ですね。距離は近いんですけれど、殺伐とした雰囲気でしてね。「高校生がこんな所に入って良いんだろうか?」なんて思ったものです。
と、言う訳で、彼女や高校時代の友達、そして出前先の色々な人々。そんな人たちと接している間に僕から人見知りが消えたのです。
簡単に言うと、人と接していないから人見知りが酷くなるのであって、色んな人と(あるいみ)強制的に接していてそれが苦ではなければ、人見知りは治っていると言う訳です。
僕は高卒で東京の会社に上京して入社する訳ですが、「社会人デビュー」みたいに、同期の中で一番最初に「飲みに行こう!」と引率できるまで人見知りを克服しました。
そのまま、20年。
僕の仕事はシステムエンジニアなので、仕事は基本的に同じですが、お客さんもプロジェクト毎に違いますし、一緒に組むメンバーも違います。
さすがに20年選手。呼び捨て出来る人も増えてきます。
会って二回目であだ名で呼んだり、貰いタバコしていると「xxさんと前に一緒に仕事していたんですか?」と聞かれます。僕は笑顔で「このプロジェクトで初めて会いました!」と言う訳です。
プロジェクトチームと言うのは期限付きの家族のようなものです。楽しくやっていくためにはよそよそしくいくより気さくに会話して「腹を割って話す」事も大事なのです。
もうすぐ40を迎える僕がいまだに「きのぴー(本名から取って)」と呼ばれる原因には人懐っこさと、上司を「おやびん」って呼ぶのに起因しているかもしれません。
年齢は関係ないです。僕は18デビューでしたが、一緒に会話をして楽しければ仕事も上手くいくと言うのが僕の持論です。
さぁ、明日から、同僚をあだ名で呼んでみてはいかが!?
では。