子供の頃は死なんて考えてなかった。
自転車で転んで血が出て泣くくらいだった。子供の頃は泣いていれば死ぬことはなかった。
そう、子供の頃は”死”の概念があまりない。と言うか無いんだろう。
それが歳を取るにつれ、大人になるにつれ、死と言うものを考えるようになる。
一人、孤独な生活をしていたら死は怖く無い。正直、怖く無いんだ。
40歳を過ぎた。人生を謳歌した。だから、死は怖く無い。
目の前に自動車に跳ねられそうな子供がいたら、犠牲になっても助ける自信がある。
でも、家族がいたらどうだろう?
守るべきものがある方が人間は強くなれるのだろう。そして死を回避する。
家族がいる、子供がいると言う事は”繋がり”を意味するのかもしれない。そして、その子供が新しい”繋がり”を見つけるまで、ー死ねないーのかもしれない。
守るべきものが無いからー強いーのか、
守るべきものが有るからー強いーのか。
それが僕にはわからない。
ただ、共通して訪れるもの、それは死だ。
死は無を意味する。
死んだ後は屍が残るだけ。心は”無”となる。自分の意識もそれを思う意識も存在しない。動物も植物も、それは一緒だ。
歳を取れば取るほど、死は近づいてくる。油断すると襲ってくる。時間の問題だ。
それに必死に抗うか、それを受け入れるか、それは自分自身が決める事だ。
ただ世界は何も変わることは無い、止められない時だけが動く。時間は前に前に進む。そして、生命と生命のー繋がりーはスケートボートに乗るように進んでいく。
荒んだ世界でも、地獄のような環境でも、世界は存在する。時は流れる。
魂は輪廻しない。
ただし、新しい生命を生み出す事はー限られた人にはー可能だ。
父ちゃん、兄ちゃん、聞いて欲しいことがあるんだ…
僕は、46億年、そして、これから何億年先にしても、0.0000000001秒にも満たらない”繋がり”の一つなんだ。
バタフライ・エフェクト。
僕は世界の一部なのだ。
あなたも世界の一部。
僕の、あなた、ーその選択ーが未来を作る。
新しい繋がりを作るんだ。
Tomorrow is in your hands.
inspired by DEATH STRANDING