僕が携帯電話を持ち始めたのは1994年。かなり早い方だと思う。なぜ当時高価だった携帯電話を買ったのか?
理由は福島への常駐である。簡単に言うと「仕事で福島に行ってきてね、2年間」と言う奴である。
アパート代と水道光熱費は全て会社が出してくれる、常駐手当と言う特別手当が出る。毎週新幹線で東京に戻ってこれる。新幹線代は会社持ちで移動手当も出る。お客先は電車やバスで行けない場所にあるのでタクシー券で移動。完璧な条件。
しかし、電話が無い。固定電話を引こうとも思ったけれど2年間の為に固定電話を引くのはもったいないしそもそも高かったのである。
というわけで横浜のビッグカメラにて携帯電話を買った。ノキアのNM101と言う携帯電話。65000円位した覚えがある。
当時の携帯は電波が弱かったし充電も1日持たなかった。電池は取り外し式なので複数個持って移動していた。みんなそうやって充電器を持ったり予備のバッテリーを持ち歩いていた。
それからずーっと32歳になるまでドコモユーザだった。MNPが出たしてから長年使ってるユーザーよりも他社から流入してきたユーザーの方が圧倒的に好条件と言うところでauに変えた。
あぁ、余計な昔話になってしまった。本題はここから。
当時の携帯電話はガラケーと呼ばれている。ガラパゴス諸島のように独自の成長を遂げた日本独自の規格を盛り込んだ携帯電話、ガラパゴス携帯、ガラケー。
今ではなぜかフィーチャーホンと呼ばれている。
ガジェットが好きな僕はいろんな携帯を買った。本当に数え切れないほど買った。けれど「1番の名機はなんだった?」と聞かれると即答できる。
N502i
である。折りたたみ式のNECの白黒携帯。iモード対応である。
本当にこの携帯が好きだった。美しかった。工業製品としての芸術を感じていた。一日中触ってても飽きなかった。
でも、それ以上にこの携帯には思い入れがある。
それは当時僕が片思いしていた女の子もこの携帯を欲しがっていたからだ。
当時、僕とその子は荻窪のお客様先で仕事をしていた。2000年頃であろうか。
荻窪の駅前にはドコモショップがあって定時になった後にN502iが入荷していないかを調べにその子と休憩がてら散歩するのが好きだった。もちろん2人だけではなく時に数人で行ったのだけどその時間が愛おしかった。
当時N502iは人気機種だった。だからドコモショップにもなかなか入荷しなかったのだ。今ならインターネットで在庫確認出来るけどそう言う時代ではなかった。
その携帯が1番好きなのは、あの子と一緒に過ごせた時代があってその思い出補正が入っているのかもしれない。
白黒だし、独断便利な機能は無かったけどデザインは良かったと思ってる。もうスマホからガラケーに戻る気は無いんだけど、もし戻るとしたらN502iを使いたいと思う。
時代は20世紀末、携帯は白黒でも問題はなかった。
この時代を境にカラー携帯が主流になっていくので、白黒(単色)携帯時代の最後であったんだろう。
今思えば、あの子の記憶も随分とモノクロ化されてしまっている。正直顔もよく覚えていない。”巨乳の広末涼子”っていうイメージで僕の中では良い思い出となった。老けたあの子は想像できない。一番綺麗な頃しか知らない。思い出ってそんなもんだ。
悪くないな、きっと。